サポーター体験記298

創業107年!江古田の老舗のパン屋「マザーグース」が長く愛される理由

取材日令和5年9月7日
更新日令和5年10月25日

江古田の老舗パン屋、「マザーグース」の創業はなんと大正5年!3代にわたり、107年もの間パンを作り続けてきました。その歴史を振り返り、地域のパン屋さんとして愛されてきた理由を、3代目社長の萩原ひとみさんに伺いました。

株式会社マザーグース

※以下、文中敬称略。

代表取締役:萩原 ひとみ(はぎわら ひとみ)さん
所在地:練馬区栄町29-2
電話:03-3994-2121
URL:https://ayatakahitomi.wixsite.com/mothergoose-ekoda

こだわりのパンが80種類も!

−−−マザーグースのパンの種類や特徴、こだわりを教えてください。

萩原「大人から子どもまで食べられるパンを、多いときで80種類ほど店頭にご用意しています。某テレビ番組で相葉雅紀さんが食べてくれたフライドエッグの乗った焼きそばパンや、ごろごろ野菜がたっぷりのピザパン、モッチモチで柔らかな食感が特徴のレーズン酵母を使った天然酵母のパンなど、様々な種類を展開しています。特にミニサイズのパンは、シニア層や女性にも喜ばれています」

−−−創業から販売しているパンもあるそうですね。

萩原「創業者である祖父が考案したのが『玄米パン』と『白あんメロンパン』です。今はメロンの果肉入りやカスタード入りなどがありますが、当時はあんこがステータスでした。白あんとメロンパン、これが合うんですよ! 今でも人気の商品です」

定番から日替わりのパンまで、さまざまな種類が店頭に並びます
マザーグースの店舗入り口

−−−80種類ものパンは何名で作っているのですか?

萩原「現在パン職人は3名で、粉を練る人、成形する人、焼く人など分担しています。それぞれ高度な技術を持っているので、その人にしか作れないパンを曜日を決めて製造しています」

−−−萩原さんが一番好きなパンを教えてください。

萩原「ねりコレにも選ばれた『フルーツブレッド』ですね。ラム酒に漬けたドライフルーツを生地に練り込んでいて、美味しくておすすめです!」

「フルーツブレッド」は果物の主張が強すぎず、主食にもおやつにも楽しめます

祖父、父から3代続くマザーグースの歴史

−−−107年お店が続いているというのは、本当にすごいですね。創業の経緯について教えてください。

萩原「今年(2023年)の高校野球で、慶應が『107年ぶりの優勝!』と報道されて、『うちと同じだ!』と思いました(笑)。パンの名店である木村屋の方と一緒に菓子パン作りを勉強した祖父が、大正5年(1916年)に創業しました。当時は巣鴨で仕事を始め、店舗はなく、大八車にのせて街を練り歩いて販売していたそうです。まだパンがハイカラな時代だったので、今ほど普及していなかったと聞いています。そうそう、当時の店名はマザーグースではなく『萩原パン』でした」

−−−拠点を練馬に移したのはいつですか?

萩原「戦後です。練馬区から『学校給食のパンを作ってほしい』との依頼があり、江古田に工場と店を構えたのが始まりでした。手先が器用な祖父は、パンだけじゃなく蕎麦も打ち、社員や家族にもふるまっていたそうです」

−−−学校給食はどのくらい作っていたんですか。

萩原「当時の給食は、毎日パンだったんですよ。4万食ほど作って、石神井や保谷まで届けていました。『萩原パンで育ったようなものだ』と言ってくれる江古田の商店街の店主もいて、うれしいですね。今は週3回、区内の保育園のおやつ用のパンを作っています」

−−−マザーグースという店名になったのはいつですか?

萩原「父の代で店名が変わりました。著名なアートディレクターの北川フラムさんが、イギリスの伝承童話から『マザーグース』と名付けてくださいました。北川さんの義兄である、京都駅を設計した建築家の原広司さんが、昭和40年代中頃にマザーグースの店舗を設計してくださいました。当時はレンガ造りだったんですよ」

マザーグースの周年記念イベントに、坂本九さんが江古田に来てくれました!

−−−2代目で大きく店舗が変わったんですね。

萩原「祖父は職人気質でしたが、父は経営者としての手腕を発揮するタイプでした。都心に店を持ちたかった父は、昭和53年(1978年)、池袋のサンシャイン60がオープンした時に、パン屋とレストランの両方を出店しました。当時は従業員が100人以上もいたんですよ」

サンシャイン60の店舗の様子

3代目の波乱万丈(?)な人生とは

−−−萩原さんは卒業後、すぐに後を継がれたのですか?

萩原「ひとりっ子の私は学校から帰ってきても1人だったので、いつも父と母がいるマザーグースに行き、手伝いをさせてもらっていました。でも、学校を卒業し、そのまま店を継いだというわけではないんです。父の『経済を学べ』という考えのもと、銀行に就職しました」

−−−3代目としてマザーグースを継いだ経緯は?

萩原「それでも、どうしてもホテル観光業に憧れがあった私は2年間、夜学に通い、晴れてホテルメトロポリタンに就職。宴会担当に配属され、やりたかったホテルの仕事ができて、幸せな時期でしたね。その後結婚し、子育てをしながら保険の営業の仕事をしていました。父が病気になり、『帰ってきて後を継いでほしい』と言われ、マザーグースに戻ったのが30代半ばです。父は他界しましたが、一生懸命協力してきた母は87歳で、今でも健在です」

−−−マザーグースの店主として、パン作りはどのように学ばれたんですか。

萩原「パンについては一から勉強しました。西葛西にあった日本パン技術研究所の長期コースに通い、パン作りからマーケティングまで叩きこまれました」

−−−これからのマザーグースについて、どのようにお考えですか?

萩原「子どもたちは今、全然違う仕事をしているので、どうなるかはわかりません。マザーグースをつないでくれたらいいなとは思っています」

レンタルスペースは、地域の憩いの場に

店舗に併設されたレンタルスペース「フェアリーテイルズ」

−−−店舗に併設するレンタルスペース「フェアリーテイルズ」ができた経緯を教えてください。

萩原「もともとこの場所で15年くらいレストランをやっていたんです。パンとサラダが食べ放題の洋食屋で、メニューにはハンバーグやオムライス、焼肉などがありました。当時(1970年頃)は江古田にレストランがなかったので、近隣の方には喜ばれましたね。レストランを閉店してからは20年ほどコンビニが入っていましたが、地元の方に使っていただける場として、平成30年(2018年)にレンタルスペースをスタートさせました」

−−−レンタルスペースはどのように利用されていますか。

萩原「バザーやワークショップ、落語や演劇、囲碁将棋など、何でもあり! ドラムセットやグランドピアノも置いてあるので、ジャズやクラシックコンサートなども開催できます。普段はイートインスペースとして開放しており、お1人様1,500円でパンの食べ放題とコーヒー・紅茶の飲み放題もご利用いただけます。特にシニアの方には、ちょっとした集まりなどにどんどん使っていただきたいですね」

「フェアリーテイルズ」で取材を行う様子

江古田の商店街への思い

−−−江古田の商店街との関わりについても教えてください。

萩原「年2回『江古田パンさんぽwith桜台』が開催されますが、今年の秋は江古田のパン屋さんが11店舗参加します。毎回、粉のテーマを決め、各店舗が1つ、新商品を出します。同業者がつながることで、お互いに切磋琢磨できるのが良いですね。スタンプラリーなどもあり、お客様に江古田の街を知っていただく機会にもなります。また、2か月に1回開催されるゆうゆうロードの『江古田ナイトバザール』は、25年以上の歴史がある商店街主催のお祭りです。サンバパレードや地元中学校の吹奏楽マーチング、よさこいソーランの演舞などが行われ、抽選会には長蛇の列ができるんです。どちらも、江古田の街を大いに盛り上げてくれる恒例イベントです」

萩原さんの溢れる江古田愛が止まりません!

−−−江古田の商店街はたくさんイベントがありますね。

萩原「商店をやっている家族って、なかなか出かけられないんですよね。だから、商店の子どもたちが楽しめて、思い出に残るイベントがしたいという考えがあるのではないでしょうか。そこで、江古田の商店街で楽しめる季節のイベントを続けてきて、今の時代に合う形になったのかなと思います」

第116回江古田ナイトバザールの様子。練馬区立開進第三中学校の吹奏楽の演奏に多くの観客が!(2015年9月)

−−−江古田の商店街が元気な理由は何でしょう?

萩原「どの商店街の会長も活発で、とっても協力的なんです。例えばゆうゆうロードでは、抽選会の景品は商店街にあるお店の商品をみんなで出し、皆様に喜ばれています。そして、江古田は住みやすく、日本大学藝術学部・武蔵大学・武蔵野音楽大学と大学が3つあり、学生さんがイベントに積極的に参加してくれるんです。これも江古田の商店街が元気な理由のひとつかもしれません」

−−−最後に、読者にメッセージをお願いします。

萩原「衣食住の中で、“食”は生きる上でエネルギーになるもの。東日本大震災で、それを強く感じました。流通が止まり、コンビニやスーパーに行っても食料が品切れのなか、マザーグースではパンを製造することができました。皆様が喜んでくださり、店中の商品が午前中に売り切れたんです。こんなに人のエネルギーになるものを作れるということは、本当に幸せなことです。だから、食べるものに関わる商売を生涯続けていきたいですね」

サポーターの取材後記

野面

祖父の創業から107年、3代目として決して平坦な道を歩いてきたわけではないのに、引き継ぐものは引き継ぎ、さらに新しいパン作りなども怠らない前向きな姿勢。1人で頑張るというより、行政、同業者、商店街、そしてお客様に支えてもらいながら店を盛り上げていこうという考え方です。多いときで80から100種類というパンが店頭に並ぶそうで、トレイに乗せた数種類だけでもパンの宝石箱かと思うくらい。そしてパンの種類に負けないくらいの江古田の商店街のイベント。パン屋として頑張ることと、地域の仲間とがつながっている姿を垣間見ることができました。そして萩原さんのサービス精神やお人柄。様々なパンを作り続ける職人さんもすごい。江古田の商店街の元気の源は、たぶん萩原さんのような方がたくさんいて実現しているのだと思いました。

プカプカ

初めて訪れた「マザーグース」は何ともレトロな佇まいのパン屋さん。併設されているイートインスペース「フェアリーテイルズ」も誰もが気軽に立寄れる集会所のようでした。そんな居心地いい空間で伺う萩原さんの話には、びっくりするような著名人の名前やエピソードも飛び出してとどまるところを知りません。手先が器用だったという1代目や経営に長けた2代目、お2人のバトンをしっかり受け継いだ3代目の萩原さんは同業者だけでなく人と人をつなぎ、地域を盛り上げる要のような存在。取材中にも来客に応じたり、私たちにも催し物のチラシやおいしいパンとコーヒーなど、次から次へと用意してくれたり。サービス精神旺盛で飾らない人柄がこれからもたくさんの人を引き付けるに違いありません。スーパーやコンビニ、チェーン店などが増え、人のふれあいが減っている今、「マザーグース」はとても貴重なお店です。パンはもちろん、「フェアリーテイルズ」も多くの人に利用してほしいとのこと。江古田に行った時はぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。


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