練馬城址豊島園「古城の塔」の保全と活用を考える会
※以下、文中敬称略。
※「としまえん」の表記について、開園から昭和50年代までは「豊島園」の表記でしたが、記事内では「としまえん」で統一しています。
代表/岡田 英昭さん
ツイッター:https://twitter.com/Toshimaen_kojo
YouTube:https://www.youtube.com/@Toshimaen_kojo
URL:https://note.com/kojo_no_tou/
令和2年(2020年)8月末、多くの人に惜しまれつつ閉園した「としまえん」(開園時の名称は「練馬城址豊島園」)。その跡地に、大正15年(1926年)の開園当時から唯一残っている建造物「古城の塔」があるのをご存知でしょうか。「練馬城址豊島園『古城の塔』の保全と活用を考える会」の代表を務める岡田英昭さんに、その知られざる歴史についてお話をお聞きしました。
※以下、文中敬称略。
※「としまえん」の表記について、開園から昭和50年代までは「豊島園」の表記でしたが、記事内では「としまえん」で統一しています。
代表/岡田 英昭さん
ツイッター:https://twitter.com/Toshimaen_kojo
YouTube:https://www.youtube.com/@Toshimaen_kojo
URL:https://note.com/kojo_no_tou/
―――まずは「古城の塔」が建てられた経緯を教えてください。
岡田「としまえんが作られた場所は、中世に勢力を持っていた豊島氏が築いた練馬城の城跡です。大正15年(1926年)にとしまえんが開園した当時は史跡に指定されていたため、建物を建てることが禁止されていました。そこで、城址を記念するイギリス式花壇を造ることになり、としまえん全体の設計というビッグプロジェクトが造園家の戸野琢磨氏に託されたのです。せっかくならその花壇を眺めながら食事ができる食堂も造ろうということになったのですが、城跡が高台にあったため、給水塔の設置が必須でした。周りの景観に合わせてイギリスの古城をモチーフに建てられた給水塔が、古城の塔として残っているというわけです」
―――その後、古城の塔はどのような変遷をたどったのですか?
岡田「昔の資料を見てみると、『古城の食堂』、『古城の塔』、『古城の喫茶』など途中で何度も名称が変わっています。昭和30年代後半には『古城ホール』になり、それまで食堂として使っていた2階のテラス部分をホールにして催しを行う場所になっていたようです。平成28年(2016年)に木馬の会の事務所となり、遊園地の主役から退いた形になりました」
―――戦時中はどうなっていたのでしょうか?
岡田「アメリカの敵機を見張るための防空監視哨(ぼうくうかんししょう)が置かれていた可能性があります。手を尽くして調べたのですが、機密事項だったため失われている資料も多く、確実なことは言えないのですが…」
―――イギリスの古城のイメージというと、6月にとしまえん跡地にオープンしたスタジオツアー東京のハリー・ポッターの世界観とのつながりを感じます。
岡田「実はコスプレイヤーさんたちの間では有名な撮影スポットのようで、ハリー・ポッターが流行った20年ほど前に古城の塔を背景に撮影した写真が、今になってSNSに投稿されていたりするんですよ。97年前に建てられた古城が、現在につながっているような不思議な縁を感じますよね」
―――ちなみに、としまえんができる前の練馬城址跡はどのような土地だったのですか?
岡田「地形としては、石神井川の沢が流入して小さな谷になっていたので、城を構えるのに向いていたと言えます。練馬城は石神井川の南側にあり、北側は低湿地帯だったので防御に適していました。としまえんのプールがあった所には練馬城の本丸があり、馬出し(城の出入口を守るための設備)もあったことがわかっています。あまり知られていませんが、ここは日本で一番古い馬出しと言われているんですよ」
―――としまえんの花壇や古城の塔を設計した戸野琢磨氏はどんな方だったのですか。
岡田「日本人初のランドスケープ・アーキテクト(造園家)と言われています。日本人で初めて造園学の学位と修士を取得し、アメリカのポートランド日本庭園や、ブルックリン植物園にある『砂と石の庭』など、海外でも有名な作品を残しているんです。としまえんは、戸野氏の日本デビュー作に当たるんですよ」
―――戸野氏が設計を担当することになったきっかけは?
岡田「としまえんの創業者である藤田好三郎氏の依頼によるものです。もともと藤田氏がその地形を気に入って購入した私有地でしたが、一般の人にも広く開放して楽しんでもらおうという目的で、遊園地として整備することになったのです。藤田氏は大川財閥に入った優秀な人だったので、新進気鋭の造園家である戸野氏に声を掛けるのは自然な流れだったと思います」
―――岡田さんがこの活動を行うことになったきっかけは?
岡田「私は富士見台で育ち、学生時代から自然と歴史が好きで、保護活動などに関わり、まちづくりや環境系の仕事をしてきました。歴史や自然を生かしたまちづくりを目指していたのですが、コロナ禍で遠出ができなくなり、地元に目が向くように。そんな中としまえんが閉園し、跡地はどうなるのかなと考えた時、ふと『あの古城はもともと何だったんだろう? 壊されてしまっていいのかな?』と思ったのがきっかけです」
―――コロナ禍での「としまえん」閉園がきっかけだったんですね。よくご存知なので、ずっと前からライフワークにされているのかと思っていました。
岡田「文献調査の経験はあったので、半年ほどの間に国会図書館に通って資料を集め、調べながらブログサイトのnoteに記事を掲載していました。調べていくうちに練馬にも空襲があったことを初めて知り、今まで知らなかったのがもったいないと思うようになりました。もっといろいろな角度からとしまえんの歴史を調査し顕彰していきたいという思いが活動の原動力になっています」
―――としまえんの歴史で特に注目していることはありますか?
岡田「前述した戸野氏の設計の功績はもちろんですが、としまえんの歴代の経営者にも惹かれました。一番面白いと思ったのは、のちに椿山荘や小涌園を造った「藤田観光」の創業者、小川榮一氏です。藤田好三郎氏が採算度外視の経営で赤字になったとしまえんを昭和10年に手放した時、実は分譲計画が持ち上がったのですが、それを任されたのが、当時、安田信託銀行の行員だった小川氏。としまえんを見た小川氏は、『ここを自分で何とかしよう』と、なんと個人で借金をして経営権を買い取り、立て直しに乗り出したのです」
―――小川榮一氏のおかげで、存続できたということですね。
岡田「その通りです。庭園だったとしまえんを遊園地の事業とし確立させたのは小川氏の功績です。当時としては大胆な企画で、昭和12年(1937年)には『森永母の日』という母の日の原型になったイベントを開催したり、愛知県犬山市から桃太郎神社を勧請して子どもをターゲットに集客を図ったり。遊具をいくつも導入するなど、さまざまな施策によって黒字化を成功させた凄腕の経営者なんです!」
―――遊園地としてのとしまえんは、そこから始まったということですか。
岡田「そうです。小川氏の著書『わがフロンティア経営』 (実日新書。現在は絶版)にはその経緯が記されていて、ユニークな人柄もにじみ出ていて面白いですよ。こうした経営者の歴史を通して、学校などでの起業家教育につなげられるよう、私もイベントなどを開催していきたいと思っています」
―――どのような思いで古城の塔の保全の活動をしているのですか?
岡田「歴史には多くの学びがあります。その歴史を知らないままでいるのはもったいない。としまえん開園時から残る古城の塔をシンボルとして、練馬城やとしまえんの歴史を学ぶ機会を作ることは、この地域のためになるのではないかと思っています」
―――現在の活動の状況と、今後の展望について教えてください。
岡田「古城の塔の保全の要望を東京都へ伝えており、相当数の声が集まっているので検討してくれるのではないかと期待はしています。引き続き、歴史のシンボルとして残す価値があるということを伝えていきたいですね。そのためにも、面白くて学びになるイベントをどんどん開催していこうと思っています。特に今はスタジオツアー東京のオープンで注目が集まっているエリア。としまえんの歴史を伝える団体として、これからも頑張っていきます!」
プカプカ
今年5月、「としまえん」跡地に一部開園した「都立練馬城址公園」。実はこの名称を聞くまで練馬城があったことさえ知らなかった私が、「古城の塔」の存在を知ったのは開園時に実施された歴史ツアーがきっかけでした。今回、ツアーの主催者だった岡田英昭さんから「としまえん」の歴史や、歴代の人物などのお話を改めて伺い、「古城の塔」の歴史的な意義を一層強く感じました。練馬城の跡地で英国式の花壇から始まり、英国風の古城に似せて建てた「古城の塔」があった「としまえん」。そこに今、ハリーポッターの新施設。これらイギリスつながりはまるで運命のよう。もともと自然保護活動や環境教育などを実践され、自然や歴史を生かしたまちづくりを目指したいという岡田さんが、コロナ禍でとしまえん閉園というタイミングで古城の塔に関心を抱き、文献などから独学で調べ始めたというのも運命かもしれません。「歴史を伝えるにはシンボルが必要。地域のためにも知らないままにするのはもったいない」と話す岡田さん。歴史の継承のためにも、今後も整備が進む「練馬城址公園」に「古城の塔」が保全されることを期待したいと思います。
トマト
結婚して住んだのが「としまえん」の近くだったことから、子どもが小さい時は遊園地やプール、夏は花火と、長い間親しんできました。3年前に閉園し、寂しいと思っていましたが、今年の5月には新たに練馬城址公園として開園し、またハリー・ポッターのテーマパークとしても新たな賑わいを見せています。
「古城の塔」の保全活動は、岡田さんがほぼ1人でされているとのことでそれにも驚きですが、その活動を支えているのは、「としまえん」の開園時からの様々な歴史に興味を持ち、それを紹介していきたいという思い。そのシンボルである「古城の塔」は、「としまえん」の歴史の象徴でもあるので、私も改めて残してほしいと思いました。
ミスターヒワダ
「古城の塔」は、英国の古城を見立てた外観で設計されている。昔から、ハリー・ポッターのコスプレイヤーたちが写真を撮っていた。今年の6月にハリー・ポッターのテーマパークが開業された。この機会を利用して話題を盛り上げるのもいいかもしれない。岡田さんは、歴史を生かした街づくりを目指しており、これからもイベントをやっていきたいと言う。良い形で「古城の塔」が残されることを切に願う次第です。