サポーター体験記
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練馬の地で生命(いのち)を育む、大泉の小泉牧場

練馬の地で生命(いのち)を育む、大泉の小泉牧場
当主の小泉勝さん、
明るく朗らかな語り口で取材に応じてくださいました

練馬区民であれば多くの方が知る、23区唯一の牧場。コロナ禍に負けず、30頭の牛たちの健康管理をしながらおいしい牛乳を作り続けています。
愛情を込めて育てている牛たちのこと、運営面で大切にしていること、シニアナビねりまサポーターの疑問。
小泉牧場が、きっともっと好きになるレポートです。

※以下、文中敬称略。
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。
※今回の取材は屋外で適切な距離を保ち、行われています。
取材ご担当:当主/小泉 勝さん
名称:小泉牧場
所在地:練馬区大泉学園町2-7-16
電話:03-3922-0087

海外の修行で得たものとは?技術より大事なこと

――スイスで学ばれたとお伺いしました。向こうと日本の酪農とを比較すると、どちらの方が先進的なのでしょうか?


小泉 「断然日本ですね。牛乳や肉の品質も日本が一番高いと思いますよ。
私が今から30年ほど前に、スイスの方へ酪農の修行に出かけた時の印象です。
もっとも近年では、スイスでも酪農含む農業全般にアメリカやカナダの技術を積極的に取り入れており、急速に最新型になりつつあります」



――スイスでの勉強は、どんなことを学ばれましたか?搾乳やお産などの実技でしょうか?

 海外でのご経験は人間的な成長につながった、と勝さんは語る
海外でのご経験は人間的な成長につながった、と勝さんは語る

小泉 「いえ、基本的な技術は長野の大学で体に叩き込みました。
私が日本で教わった先生は丁寧に指導するタイプではなく、“目で盗め”という職人気質でしたから。
スイスでは知識ではなく経験を積んだ感じです。
理論は比較的短期間でも習得できますが、経験はなかなか身につくものではありません。
ですので、今はコロナ禍で控えていますが、この牧場でも農業実習生の受け入れを行なっているんですよ。
時代も変わりましたから、教える立場となった私は“目で盗め”ではなく、きちんと言葉で伝えています。その上で、見て考えて実行して欲しいなと思っています」



――海外で学ばれたご経験で、現在の小泉牧場に役立っている点はありますか?


小泉 「技術的には、正直、スイスはとても緩かったのですが、個人的には長野で学んだ時間よりスイスの1年間の方がずっと今に活きています。
それは技術面でも経験でもなくて、人としての成長です。
派遣先の農場のご家族がとても人格者でして、今でも忘れないのが『あなたは人を大事にしなさい。家族を大事にしなさい。いくら仕事が上手くなっても帰る場所は家庭なんだから、家族を大事にしないといけない』という意味の言葉をかけられたことですね。
家族との関係がうまく行かない人に良い仕事ができるわけがない、という考えの方だったんです。
これが一番の学びでした。家族があるから今の私がいます。
今、牧場に情熱を捧げていられるのは家族のおかげです」



――最近のニュースで、(コロナ禍の影響で)牛乳が消費されない・積極的に消費しよう、と観ましたが、この点についてはどう思われますか?


小泉 「おっしゃる通り、現在の状況には本当に参っています。
そこで私たち乳業団体は一丸となって、マスコミさん達の力を借りるなどし、牛乳を飲むだけではなくヨーグルトでもシチューでもと飲食業の方にお願いして、全国で5000トンほど余ってしまっている牛乳の消費をなんとか解消することができました。
ただ、現在でも粉ミルクなどはまだ在庫をかなり抱えていますので、気は抜けません。
実はヨーグルトの中には脱脂粉乳、つまり粉ミルクと同様のものが入っていますので、できればみなさんには積極的にヨーグルトを消費していただけると大変ありがたいですね」

 取材は牛舎の外で行いましたが、その様子を傍の可愛い子牛が不思議そうに眺めていました
取材は牛舎の外で行いましたが、その様子を傍の可愛い子牛が不思議そうに眺めていました

――コロナ禍で自宅での消費、いわゆる巣篭もり消費は上がっているようにも思うのですが。


小泉 「その通りですね。飲料用の牛乳の消費は1割ほど増えました。
ただ、もう少し大きな視点での背景があります。
皆さんもご記憶にあるかと思いますが、数年前、バターやチーズが全国的に不足したことを覚えていますか?
実はその時、国の政策で大規模な補助金制度ができ、牧場の大型化を推奨したんです。
小泉牧場は現在30頭ほど飼育していますが、北海道や熊本ともなると、1000頭や1500頭という規模になるんですね。
それで経営を拡大した牧場が、まさに今稼働していますので、その牛乳がコロナ禍で余ってしまっている、というわけなんですよ」

かつての牧場先進地は東京だった?!小泉牧場の歴史

――前後しましたが、小泉牧場の歴史について、教えていただけますか?


小泉 「私の祖父が、岩手県の今泉で牛を飼っていたのが始まりです。
その次に、戦争前までは、なんと東京の大塚で牛を飼っていたんです。
今では信じられないエピソードですよね?
そして、昭和10年に練馬に引っ越してきました。今年で創業87年になると思います。
大塚にいた頃は、流通網なんて全く発達していなく、明治維新が終わり、ようやく西洋の文化が入ってきた、そんな時代でした。
酪農も西洋から取り入れましたので、横浜の港から近い東京は牧場が一番多い地域だったんです。
北海道よりも断然多かったようですよ。


現在の搾乳は機械で行いますが、その当時は手で搾っていました。
近所の方が一升瓶を持ってきて、『ここに入れておいてね』なんて言って、いわゆる引き売りが主流でした。
それから、現在では我々の仕事を“酪農”と言っていますが、その言葉もなくて、“乳搾取業”と呼んでいました」



――海外に修行に行かれたとおっしゃっていましたが、勝さんのご経歴を詳しく教えてください。


小泉 「実は当初、この仕事をやるつもりはありませんでした。
時代はバブル景気に湧いていましたから。
ただ高校2年の時かな、父親に『お前がサラリーマンになったら、この牧場の固定資産税は払えないだろう』といわれたんです。
もちろん当時は意味なんか分かりませんでしたけどね(笑)。
本当は警察官かツアーコンダクターになりたかったんですが、大変そうな牧場の雰囲気を私なりに感じ、この夢は諦めて長野の農業系の学校に進学することにしたのです。
そこで酪農・農業全般を学んだのですが、正直あまり良い思い出がありませんでしたので、卒業後、すぐにここに戻ってきて牧場を継いでも、自分で逃げてしまうだろうなって思ったんですよ。
だから、そうできないような環境に身を置こうと、北海道とか九州の牧場への就職を考えました。
ただ、さらによくよく考えてみると、万一精神的に参っちゃった時、日本国内なら各駅停車の電車でも、極論を言えば徒歩でも逃げ帰ってこれちゃうなと。
だったらいっそ海外にしようか、と考えるようになりました。


そこで、平成2年に“国際農業者交流協会”主催の欧州農業派遣制度を利用して、1か月ドイツで、1年スイスで農業を学んだのが経歴となります」

 この日は生憎の雨模様でしたが、子牛には羽織ものが(カーフジャケットと呼ぶそう)
この日は生憎の雨模様でしたが、子牛には羽織ものが(カーフジャケットと呼ぶそう)

――その派遣制度が先ほどのスイスなんですね。酪農とは関係があったのですか?


小泉 「もちろんです。
ただ、酪農を学びには行ったのですが、先ほどのとおりスイスのレベルは当時高くなく、また、複合経営がメインだったんですね。
牛も豚も鶏も飼育し、野菜もあって、洋梨やさくらんぼも栽培していました。
派遣先の農場は山も持っていましたので木こりまでやりましたよ。
ガスがなかったので、1年中薪を割っていましたね」



――海外から戻ってこられて、いよいよ小泉牧場を継がれたわけなんですね。


小泉 「今でも覚えていますが、当時も相当迷いました。さらに本音を言えば、海外青年協力隊にも興味がありまして。
自分を鍛えたいというか、追い込んで強くなりたいと思っていましたから。海外から戻ってきてひと月くらいは挨拶回りなど比較的のんびり過ごしていたのですが、
行く先々で『仕事やらないの?』と言われ、少しずつ父の手伝いを始めちゃったのが運の尽きです(笑)。
そこから30年、現在に至ります」



――牧場に入られる前は、だいぶ葛藤があったようですが、この30年で辛いな、きついな、と感じられたことはないのでしょうか?


小泉 「いえ、それはもちろんありますよ。
何より牛が死んだ時は辛いですし、乳腺炎で乳がうまく出ない時など、自分の未熟さを痛感して気持ちも沈みます。
絶対次はしないぞ、と思っているのですが、生き物相手ですから、なかなか完璧には出来ず、悔しいことは多々あります」

「それでも人が好き」、地域と人とつながるために大事にしていることは譲れない

――牧場の牛について詳しく教えてください。先ほど30頭と言われましたが、こちらの子牛も含めてですよね?


小泉 「そうです。ですから牛乳を搾っている牛は25頭になります。
1日、550〜600リットルの牛乳を搾っています。うちの場合は1日2回搾っています。1年のうち、280〜285日くらい搾っていますかね。
これを泌乳(ひにゅう)期間と言います。
2ヶ月空くのは、牛乳は栄養分ですからお腹に赤ちゃんが居ると、若干出が悪くなるんですよ。
ですのでこの期間を利用して、炎症防止のために牛の乳首に抗生物質を入れるんです。
乳腺細胞を回復させるための2ヶ月であり、お腹にいる赤ちゃんに栄養を与える期間でもあります(乾乳期間と言います)。

 私たちにおいしい牛乳を分けてくれる、お母さんの牛です
私たちにおいしい牛乳を分けてくれる、お母さんの牛です

ちなみに、1年に1産させるようにしています。そうでないと牛乳も出ませんし、質も下がりますし、受胎率も悪くなってしまうのです。
命に携わる仕事をしていますから、なるべく牛の負担にならないように、この営みが継続するように、気を遣っています」
※妊娠は人工授精で行っています。



――餌は何を与えているのでしょうか?

 こちらに牛たちの餌(乾燥草)が入っているが、コロナ禍で餌の確保も徐々に厳しくなっている
こちらに牛たちの餌(乾燥草)が入っているが、コロナ禍で餌の確保も徐々に厳しくなっている

小泉 「主に購入飼料ですが、実は近郊のお豆腐屋さん5軒からおからを回収して与えています。
うち1軒は工場ですから、牧場の牛に十分な量のタンパク源を確保できます。
ただ、お豆腐屋さん自体は不景気や後継者不足でたくさん廃業されてますよ。20年前は15軒から集めていましたから。
ちなみに練馬区内からは集めていません。すぐ向こうが区外ですから、新座・西東京・東久留米市から集めています。
このほか、乾燥草や配合飼料、ふすま(麦の皮)、それからサプリメントも5種類食べさせています。
月に1度、餌の業者さんに居る専門員、人間で言うところの栄養士さんと相談して、健康状態に合わせて配合を調整しているんですよ。
ただ、配合は変えても餌自体は変えません。慣れるまでに2ヶ月くらいかかりますから」



――「酪農ヘルパー制度」というものがあると聞きました。こちらは誰でもなれるものなのでしょうか?

 酪農ヘルパー制度は、サポーターが最も気になった質問のひとつ!
酪農ヘルパー制度は、サポーターが最も気になった質問のひとつ!

小泉 「はい。どなたでもなれます。ただ、酪農ヘルパー全国協会に申請して、研修を受けていただく必要はあります。
各都道府県別にヘルパー組合がありますので、ここが直接募集をし、経験済みの方であれば、組合の職員となり、ヘルパーとなることができます。
もちろん東京にもヘルパー組合は存在します。現在は、確か3人いらっしゃったと思いますよ。
私も、15年ほど前からこちらの制度を利用して、月に1〜2回は休むようにしています。
休みがないと、身体的にもしんどいですし、つまらないですからね」



――街なかで運営されていることでのご苦労などはありますか?_


小泉 「掃除はかなり頻繁に行なっています。
1日6〜8回、糞の掃除は行なっています。匂いを100%消すことは難しいので、来られた方には丁寧に状況をお伝えしています。
おかげさまで子どもたちの受け入れを始めてから30年、苦情は1件もありません。
逆にずっと続けてくださいねって言われています。ありがたいことですね」



――人間社会は新型コロナウイルスで大変ですが、牛たちへの影響はありますか?今回は取材ですけど、そもそも私たちが立ち入って大丈夫なのかなと。

 口蹄疫予防のため、ここから中には入れません
厳密に管理されています
口蹄疫予防のため、ここから中には入れません
厳密に管理されています

小泉 「新型コロナウイルスそのものは影響無いですね。
それからこういう街なかで経営していますから、人を排除するようなことは出来ませんし、やっていません。
確かに牧場によっては牛舎だけでなく、敷地内立ち入り禁止という所もあります。
というのは、口蹄疫が怖いんですね。これは人間の靴の裏、つまり地面から病気を運ぶと考えられています。
ですからその点に気を遣う牧場も多いことは確かですが、うちの場合は人と人とのコミュニケーションを大切にしていますから、家畜保健所のご担当の方にも『うちは(厳しくすることは)出来ないです』と明言しています。
地域の方もお客さんも、せっかく遊びにきてくれているわけですし、牧場にきて良かったなって思って欲しいですから」


 


――「ねりまの散歩道」のコースにも入っていますので、どうぞお気軽にお越しください!と終始笑顔でご対応いただきました。
天気の良い日の買い物帰りや散歩がてらに、かわいい牛を見学するのも、練馬らしくて素敵ですね。

サポーターの取材後記

れんげそう
訪問の日は、冷たい雨が降り、風も強くあいにくの天気であった。
ずいぶん早く出たつもりであったが、最後タクシーを頼んで、約束の時間のギリギリに牧場に着いた。
暖かい日差しの中で、草を食む牛たちを眺めながらインタビューをする、なんとなくそんなイメージを持っていたのであるが、結果的には正反対。
雨の中でぬかるみに立って震えながら、傘をさして、仔牛たちが収容されている小屋の前で、話を聞くということになった。
せっかくご用意いただいた椅子も濡れてしまうような雨でしたが、それだけに、自然を相手に生き物を育てる現実の厳しさを見ることができたような気がする。
冷暖房の効いたオフィスの中で仕事をする人々に比べて、現業で働く人たちにもっとお金が回る経済の仕組みにしなくてはならない、という気になった。
へーげん
人の靴底には色々な菌があるそうで、口蹄疫を予防するため母牛小屋は拝見できませんでしたが、「モー」と鳴く声を聞きながら、ありがたみや命の尊さを感じた取材でした。
また、酪農は目が離せないお仕事・常にお世話が必要な仕事であるため、休む為には酪農ヘルパーの助けがいる事もわかりました。
一定期間研修を受ければお手伝いが可能だそうですので、これからもこのシステム・サイクルが受け継がれ、酪農大学の生徒さん等に経験が繋がり、美味しい牛乳が作り続けられればいいな、と思いました。

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