サポーター体験記
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350年継続する練馬の農家、その歴史とこれからの農業に対する思い

350年継続する練馬の農家、その歴史とこれからの農業に対する思い
農園主の白石さん、栽培の知識はもちろん
練馬の歴史や流通など深い知識と造詣があります

「サステナビリティ」という言葉をよく耳にするようになりました。
これは『持続可能』という意味で、自然環境や人間社会などが、できるだけ長期にわたってその機能や仕組みを失わずに、良好な状態で維持させよう、していこう、とする考え方です。
実は農家さんは、この言葉が注目される遥か以前から
この考え方を実現していたのはご存じでしょうか?
練馬にある白石農園さんに、農業の今昔から、お話を伺ってきました。

※以下、文中敬称略。
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。
取材ご担当:白石 好孝さん
名称:白石農園
所在地:練馬区大泉町1‐54
電話:080-6510-6022
URL:https://shiraishi-farm.com/

農耕の“農”の文字は絶対に後世に残していきたい!農を中心に、親から息子へ継承する

――インターネットで事前に拝見したのですが、代々350年も続いているそうですね。
そこまで長く続く理由や背景を教えてください。


白石 「まず、立地条件はありますね。
練馬だけでなく、世田谷や杉並、豊島区なども、かつては農村でした。
幕府が江戸に移り、100年の間に100万人の都市になったと言われています。
ちなみに、太田道灌が江戸城を作った際は、2000人ほどであったそうです。
同じ大都市でも、京都や大阪は歴史があって、周りにちゃんと農村があり、食糧はそこから調達できていました。
江戸の場合は変化のスピードが速すぎたため、食糧生産基地として100万人を支える需要がありました。
こういった点から、農業がやりやすい環境であったと思います。
この辺り一帯もかつては水田で自分が食べる1年分の米は自分で作っていました。
農業で食べていくことが出来た点も、長く続いている理由でしょう。
周りの区にも200年、300年と続いている農家は実は結構あるんですよ。
私は農地というのは、ご先祖からの預かり物だと考えています。
自分だけの力で田畑を手に入れたのであれば、例えば土地を売るなど自由にすれば良いと思いますが、預かっているものは無くすわけにはいかないかなと」



――白石農園についてもっと知りたいと思っています。ホームページのマークについて、ご説明いただけますか?

 白石農園さんのマークには、実は深い意味と思いが込められています
白石農園さんのマークには、実は深い意味と思いが込められています

白石 「左と右に白と石の文字があります。
“白”は私の息子が高校生の時に書きました。
“石”は私の父が書いています。農業の“農”の字には特にこだわっています。
一時期、農業が3K(きつい・汚い・危険)と言われていた時代があり、農業の農を捨て、表面だけの緑地化や生産性などが語られるようになりました。
その時に、私は農耕の“農”の文字は絶対に後世に残していきたい、という思いが強まり、“農”の文字の下部分に、大根を掘る自分をデザインしました。
農を中心に、親から息子へ継承するというコンセプトで作成しています。
よく見ると周りは小さな草が生えるフィールド、大地なのです」



――なるほど!素晴らしいストーリーですね。
ところで私は個人的に歴史にも興味があり、富士街道・埼玉道・清戸道(大根街道)なんていうのもあったかと思います。
この近くにも江戸に直結する街道はあったのでしょうか?


白石 「私の父や祖母の話を聞くと、川越街道を利用したようですよ。
今の光が丘あたりを抜けて川越街道に入り、池袋を経由し、後楽園、東大の赤門を通り、神田の市場まで下りていったそうです。
神田方面に向かう途中には、大八車を押す人足(にんそく)さんが待機していてくれて、赤門に上がる本郷の坂を彼らに押してもらって上まで行くと、神田明神からはゴロゴロと下っていく、という話を明治生まれの祖母から何度も聞いています」



――ここから神田はかなり距離があると思います。人力で行くのは相当なご苦労ですね!


白石 「毎日は行けていなかったようですが、出向く時は家族総出で大八車を押したようです。
馬や牛は贅沢で手に入らなかったんです。
野菜はせいぜい150kg前後くらいしか運べなかったでしょうね。ここからおよそ20kmですから、仮に時速4kmとしても、5時間かかる計算になりますね。
帰りも手ぶらではありません。下肥(人糞)を肥料として買ってくるわけです。
その当時、大名屋敷の下肥は質が良くて高かったそうです。
美味しくて栄養のあるものを食べていましたからね。
この話もそんなに前の話ではなくて、ほんの100年前の出来事なんですよ」

 想像できるつい最近まで、かなりの苦労をともなって野菜は流通・販売されていました
想像できるつい最近まで、かなりの苦労をともなって野菜は流通・販売されていました

――西武線がそもそも当初は肥料を運ぶ列車でしたものね。


白石 「今でいうSDGs※が高いレベルで完成されていた時代だったのです。
都会で出た老廃物を郊外の農地へ還元し、再び野菜として再生産しているわけです。
それで、また食べれば肥やしになる。ですから江戸時代は世界的に見てもエコタウンの一つでした。
江戸では肥やしを溜めておき、郊外の村々で発酵させ有機肥料として再利用していました。
ほぼ100%有機栽培、当時は自然のものしかありませんから、ご飯の残りなどもそこに入れることで、ゴミも出ない。
循環型都市の一役を、郊外の農村が担ってきたんです。
今ではすっかりマンションになってしまっていますが、昭和30年代くらいまでは今見える建物は全く存在せず、開墾されていない雑木林が残り、畑や水田ばかりでした」


SDGs…持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)とは、 2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のこと。

東京の消費者にこそ、東京の野菜を食べてほしい

――私の知識では、農家さんは専業で一品目をたくさん作っているイメージです。
白石さんは100種類もの農作物を育てているそうですが、どんな物を育てているのですか?

 練馬大根は、近所の小学生が授業の一環で抜きに来るのを待っています
練馬大根は、近所の小学生が授業の一環で抜きに来るのを待っています
 広大な農地に様々な野菜が元気に育っていてとてものどかで豊かな風景です
広大な農地に様々な野菜が元気に育っていてとてものどかで豊かな風景です

白石 「父が中心となって農業をおこなっていた時代は、効率化を図るために“単作経営”と言って、大根なら大根だけ、というそれぞれの専門分野の生産が推奨されていました。
現在の農家さんは、おっしゃる通りほとんどがこの形です。
一時期は練馬でもキャベツの生産が盛んになりました。
というのも、今でこそキャベツは全国から集まってきますが、50年前はトラックも今のように荷台の覆いはありませんし、そもそも段ボールもなく、竹のカゴに入れて出荷していました。鮮度が命である野菜は、そのような理由で盛んに生産されたんですね。
それが、段ボールが誕生し、トラックの性能が向上し、高速道路もできると、地方からどんどん同じ種類の野菜が入ってくるようになるんです。
そうなると価格競争が始まり、最終的には野菜の値段が暴落するんです。

 東京産のキャベツが、実は地方へ出回っていたことも!なんだか不思議です
東京産のキャベツが、実は地方へ出回っていたことも!なんだか不思議です

キャベツで言えば、群馬の嬬恋のものが夏場は重宝されるといった具合に練馬の野菜が競争力を失っていきます。
つまり、元々は合理的であったはずの、一品目に集中して生産する農業のシステムが通用しなくなってきました。
東京でも都市化が進み、市場までわざわざ野菜を大量に運ばなくても近所で一定の消費がされる状況に変化しましたので、40年ほど前から徐々にこの地域のお客様に販売するように比重を変更したのです。
キャベツは1万個市場に持っていくわけですが、この近隣だけで同じ量を売るのは不可能です。
キャベツを2000個にして、大根やトマト、枝豆にとうもろこしを作ろう、というふうに市場にも出しながら地域でも販売する現在の形になり、気がついたら100種類近くになっていったというわけです」



――逆に地方へ白石農園から販売することはないのでしょうか?


白石 「目の前に1300万人の消費者がいますから、地方へ回す余裕はないですね(笑)。
いかに地域の皆さんに消費していただけるかに知恵を絞ります。


ただ、実は過去に地方へも販売をしていたことがあるんです。
先ほどのキャベツを神田の市場に卸します。産地間競争で価格が安くなります。
そうすると、市場には仲卸しさんがいて、嬬恋のキャベツの半額の東京のキャベツを仙台に運ぶんです。
そうすると、北の方では流通量がそこまで飽和状態で無いため、東京産のキャベツが嬬恋産のものと同じ値段でも売れるわけです。
私たちは半年かかってキャベツを育て、1000円で販売するものを、仲卸しさんは仙台まで運ぶことで、ここにさらに500円の利益を乗せることができるんです。
1000ケース売れば、50万円ですね。
トラックを手配して経費を除いても十分経営が成り立つわけです。
現代における野菜は、どこそこの地域で収穫されたとか新鮮であることよりも流通網や配送の効率化のおかげで、もはや物流商品と同じ位置付けなのです。

 白石農園の入口には野菜の自販機があります、新鮮な野菜だけでなく卵も販売しています
白石農園の入口には野菜の自販機があります、新鮮な野菜だけでなく卵も販売しています

このようにして、逆に東京の野菜が地方へ流通するという現象が起きていますが、これは決して望ましい状況では無いですよね。
私たちとしては、できれば東京の方に食べてほしいですから。
需要と供給の話で言えば、東京の人口に対して自給率は生産額ベースでわずか3%なのです。
しかし、その残り97%と私たちをつなげるパイプがかつてはとても少なかったのです。
今はさまざまな形で随分と広がりました」


――大都会東京は、消費地だとばかり思っていましたが、今や逆に生産地でもあるのですね、知りませんでした。

農地は資源、環境が変化をしても受け止め、農業を継続していきたい

――先ほどSDGsの話が出ましたが、地球温暖化について、農家の立場からお感じになることはありますか?


白石 「やはり育てる野菜をどのように選択するか?は変わらざるを得ない状況です。
種を蒔くタイミングも、今まで通りだと苗を植え付ける時には育ち過ぎてしまったりと、ここ30年くらいで変化が激しい印象です。
私たちは作型(さくがた)と言って、いつ種を蒔き、いつ定植し、いつ収穫するかの計画が2〜3週間はずれているのではないでしょうか。
こう聞くとわずかなずれと感じられるかもしれませんが、キャベツのなどの葉菜類は90日ほどで収穫できますから、相当の影響なのです。
他にも、庭先に観賞用に育てているみかんが30年前は酸っぱくて食べられなかったのに、今はかなり美味しくなっているという笑い話のような現象も起きています。
暖かくないとそうなりませんし、実際練馬でもみかんを栽培する農家さんが増えてきていますから、ここ30〜40年で温暖化の影響は確実にあると思います」

 地球温暖化による影響は、もちろん農業にも大きく関係します
地球温暖化による影響は、もちろん農業にも大きく関係します
 身近にある農地だからこそ、毎日食べるからこそ私たちはもっと関心を持たないといけないのかも
身近にある農地だからこそ、毎日食べるからこそ私たちはもっと関心を持たないといけないのかも

――私も朝顔を育てていますが、最近では夏に咲かないんです。おそらく暑すぎるからだと思います。
9月に咲き始め、年によっては12月頃まで蕾がついています。


白石 「おそらく休眠しているのでしょうね。
私たちが子供の頃の50年前は、寝る時は蚊帳を吊り、腹巻きをして寝なさいと言われたものです。そうでないと寝冷えしました。
少し前までは、エアコンは電力の消費に繋がるから控えましょうなんて言われていたのに、今では熱中症対策で、逆に積極的に利用しましょうと言われていますからね。
ただこれは、地球全体の温暖化だけでなく、東京においてはヒートアイランド現象も影響があるとは思っています。
練馬の高温化は、東京湾から入ってきた南の風が都心からちょうどこの辺りを抜けて埼玉方面で動きますし、気象庁の計測器が石神井台にあるため、暑い町としてよく気象情報でも見かけますものね」


※ヒートアイランド現象については、過去のサポーター体験記でも触れています。
<参照>
https://snavi-nerima.jp/supporter/detail.php?id=sprepo203



白石 「東京23区の都心には農地が少ないですが、円周上にはおよそ500ヘクタール、東京ドーム100個分位広がっています。
このうちの約40%、200ヘクタールほどが練馬区に現存しています。
様々な歴史があり、世界でも異例なほどたくさんの農地が残っています。
周りの環境は常に変化しますが、どのように変わっていっても、私たちはそれを受け止めていくだけです。
地下鉄の延伸も様々な意見があるでしょうが、私たちはビジネスチャンスだと考えています。現在では色々な制度がありますので、本気で農業をやりたいと考えれば、思う存分できる環境になってきています。

 白石さんの考え方は、農家さんとしてだけでない、多様な気づきを与えてくれます
白石さんの考え方は、農家さんとしてだけでない、多様な気づきを与えてくれます

農地は、土地という側面では資産かもしれませんが、広い視点で考えれば資源だと思っています。
食料を生み出し、それをリサイクルして継続していくという役割と捉えれば、資源として残すべきとも言えます。
これが、農業を行うために使う“生産緑地”という考え方ですね。農地になると、土地の資産的価値がなくなるという見方もありますが、資源として法律が担保してくれるようになったのは大きな変化です。
これはまさに社会が求める需要であると思います」



――白石さんはこの他にも、どこかで農地減少は止まり、どのようにして増やしていくか?を考える時代がやってくる、最近生まれたご自身のお孫さんの代、つまりあと100年位はここ練馬で農業を頑張っていきたいとも話されていました。
農業に対する無限の可能性の一端を聞け、「練馬の農業」だけでなく、「これからの農業」を考えさせられる取材となりました。

サポーターの取材後記

2番さ~ん
白石農園さんが「この農地はご先祖様、天からのお預かりものである」と幾度となくお話しされました。
「今いる自分達はそれに報いる努力を怠ることなく、毎日をそして将来を見据えています」と、そのお言葉には並々ならぬ自信と、農業に対する深い愛着を心底に感じとりました。
白石農園もさることながら練馬の農業は、これからも益々盛んになることでしょう。
白石農園さんの農業への力強い思いと広大な農園を見て、区民の一人として誇らしく感じました、その反面この様な農園経営と農業を通じて社会事業をされている事を、私を含め区民の方々がどこまで知り、又利用されているか疑問にも感じました。
私達は、私達の生活の源である農業を理解し、特に白石農園の農業への考え方、情熱を大いに告知して私達が出来る支援をしたいと感じます。
これからも練馬の魅力を知り、その魅力をみんなで分かち合いたいと思います。
Mita!
白石さんは優しい穏やかな目をした方で、農業のお話をされると、熱い思いが感じられ、楽しそうで、誇りを持っていらっしゃると感じました。
特に江戸時代の話に引き込まれて、興味深くお聞きしました。
出入り口の青々とした葉の大根は、小学生が収穫体験学習に来るためのものだとか。
前に来た小学生が大根を引き抜いた丸い穴がポコポコ開いていて、もぐらたたきゲームを連想しました。
白石家の農業は、ご先祖様の築いた土台の上に、市場や消費者の要望に合わせて多品種少量生産を行い、農業のファンを増やすために、農業の学校や農家同士の連携も図る、災害時の対応など、時代の要請に対応する大切さを加味して次世代に引き継がれていくのでしょう。
SDGsとエコを感じました。

サポーター紹介

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