サポーター体験記
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身近な氷川神社の長い歴史を、地域との繋がりから紐解く

身近な氷川神社の長い歴史を、地域との繋がりから紐解く
地域に愛される氷川神社、取材日にも小雨の中多くの参拝客を見かけました

石神井公園のほとりにある氷川神社。
私たちも、公園同様身近に感じており、日々、お参りに行かれる方も少なくないと思います。
三宝寺池には厳島神社や宇賀神社(穴弁天)、水神社もありますが、これらの神社の繋がりとは?
また氷川神社創建の歴史は?度々目にする場所でも意外と知らないことだらけです。
今回は、そんな、地域と共に歴史を紡ぐ氷川神社についてお話を伺いました。

取材ご担当:宮司/奥野 雅司さん、禰宜/奥野 幹史さん

※以下、文中敬称略。
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。
名称:石神井 氷川神社
所在地:練馬区石神井台1-18-24
電話:03-3997-6032
URL:https://www.ne.jp/asahi/hikawajinja/hikawahp/  

石神井城が先か氷川神社が先か、神社の歴史の考察を伺いました

――早速ですが、こちらの神社の成り立ちや歴史などを教えていただけますでしょうか?

 取材の無事を願って(?)お参り、清らかな気持ちで臨みます
取材の無事を願って(?)お参り、清らかな気持ちで臨みます

宮司 「まず神社の始まりは“創建”(あるいは創立)といいます。およそ800年前の話ですから鎌倉時代と言われています。
詳細な点は不明な部分も多いですが、豊嶋氏が石神井城を作った時分とされる、室町時代の応永年間にはあったと確認されています。
城といえば攻めにくくするために守りの堀が必要です。その守りの南側が石神井川でした。
今の川の位置よりももっと先、石神井小学校やこの神社の参道を降りていった場所が低くなっていて、石神井川の水を引き込み、田んぼを作っていたりしました。
お気づきと思いますが、この神社からはどの道を行っても坂を下る形になると思います。
行き着いた先が水田なのです。この水田は、いざという時水を引き込めば簡易的な堀として利用ができます。
一方で、北の守りは三宝寺池でした。湧水が豊富な池で、当時は別の名前で呼ばれていたはずです。
三宝寺が当地に遷(うつ)ってきたために、その境内の奥にある池ということで、三宝寺池と呼ばれるようになったそうです。

 奥野宮司、完成したばかりの儀式殿の書物庫にお邪魔させていただきました
奥野宮司、完成したばかりの儀式殿の書物庫にお邪魔させていただきました

ここは当時から湧水が豊富な地域でした。
北は池で守られている。南に対しては高台になっている。西の方は切り通し※になっています。
この神社から三宝寺池へ抜けていく一方通行の道があるのですが、私の祖父の時代にはもっと深かったそうです。
東の守りは空堀でした。その外側にあった別閣の陣地の名残が、現在の石神井城跡と呼ばれている部分です。


※切り通し・・・人や物資の行き来を行うために山を切り開いて作った道のこと。当然、戦略上も重要な意味があった。


関西や東北に行くと『氷川神社って珍しい名前ですね』と、よく言われます。
場合によると、読めない方もいらっしゃいます。
氷川神社の本社は大宮、武蔵国の一宮で関東一円にしか存在しませんが、そのかわり数がとても多いです。
私どもも電話を受ける時は必ず『石神井の氷川神社ですが、お間違えないでしょうか?』と出るようにしています。
練馬区内だけでも6社の氷川神社がありますから。
豊嶋氏が石神井城を構えた時の領地内に氷川神社が多いですので、おそらく豊嶋氏に関わる殿様たちの多くが崇拝・崇敬していたのではないかと考えられます。
私どもの神社は、豊嶋氏がお城を作り、その守り神として新しく創建したものなのか、それともお城を作ろうと思った場所に元々祠があり、この祠をお祀りする形であったのか分かりません。
しかし、もし後者だとすると、氷川神社の祠の本当の始まりというのは、800年よりももっともっと古いかもしれません。
神社には鎮座する町や地域、エリアを護る鎮守神社と崇敬者によって勧請(かんじょう)された崇敬神社とがあります。
私どもの氷川神社は石神井の地域全体を守護する鎮守神社です。
町や村の守り神“鎮守さま”というのが、神社の元々の姿といいますか原風景ではないかなと思います」



――神社の「始まり」というのは、なかなか明確にはわからないものなのですね。


宮司 「全国にある神社のほとんどが、その始まりが明確ではありません。
ただ、神社の中には式内社(しきないしゃ)と呼ばれている神社もあります。
延喜式(えんぎしき)と呼ばれる、簡単にいえば昔の法律を定めた書物なのですが、その中に神名帳(じんみょうちょう・しんめいちょう)という名簿のようなものがあり、これは、全国のある程度大きな神社が書かれています。
ここに記載があるということは、少なくとも延喜式が定められた時代までは遡ることができるということで、ある種、歴史が保証されているといえます。
皆さんも神社をお参りする際に、石碑などに“式内”という文字を見つけたら、そこは延喜式に載っている神社という意味です。]
面白いのが必ず全てが大きな神社かというとそうでもなく、神社境内のお末社※だったりすることもあります。


※お末社…本殿とは別に祀られる境内の祠のことを、摂社(せっしゃ)や末社(まっしゃ)と呼ぶ。

 神道関係の蔵書、この中にもお話に関連する資料があります
神道関係の蔵書、この中にもお話に関連する資料があります

いずれの神社にいたしましても、いつ創建されたのかというのはなかなか詳しくわからないことがほとんどじゃないでしょうか。
私どもの氷川神社は歴史としては、創建は先程お話しした通りです。
その後、石神井城が文明9年(1477年)に太田道灌に攻められて落城したと言われていますが、実は道灌が石神井城を攻める前に、既に大勢は決していたようです。
敗色濃厚となり石神井城はほとんど無血開城だったのではないか、と言われています。
石神井城落城の経緯については、太田道灌が書いた書状の中にそのことが一行書かれているのみだと聞いています。
もし仮に激戦があったのであれば、もう少し詳細な記録なりが残っていそうなものなのですが、それは残っていないようです。
神主としては、激戦よりは穏やかな解決の歴史である方が嬉しい気もしますね。
その後は石神井地域、里の守り神として崇敬を集めています」

三宝寺池と井の頭公園が繋がっていた?!同じ水系である言い伝えとは

――自然が豊かな三宝寺池のほとりに厳島神社や水神社、宇賀神社(穴弁天)がありますが、どのような位置付けなのでしょうか?


宮司 「かつて弁天堂だったことから、通称“弁天様”と呼んでいますのが厳島神社。
それから湧水の神様をお祀りしている水神社がありますね。氷川神社のすぐ隣で私どもの兼務神社です。
氷川神社の摂末社のようにしてお参りされる方が多いのではないかと思います。


氷川神社の境内の西側に末社があります。去年、境内を整備して西門(西参道)を作りました。
西参道を出て右に真っ直ぐ行くと水神様・弁天様ですので、境内はほぼ連続しており、参拝の方々も身近なものと感じているようです。

 氷川神社西側にある末社、北野神社や御嶽神社など多くが祀られています
氷川神社西側にある末社、北野神社や御嶽神社など多くが祀られています

三宝寺池の自然は豊かで、全国的にも珍しい環境と言われています。
二十三区内で国の天然記念物があるのは唯一ここだけです。(沼沢(しょうたく)植物群落※)


※沼沢植物群落・・・東京都公園協会のホームページに詳細が解説されています。
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/view006.html


三宝寺池は湧水が豊富なのも大きな特徴で、東京の地図を見ますと山手の大地がグッとへこむところに湧き水がたくさん出るわけです。
ジグザクの谷側“谷戸(やと)”と呼ばれるポイントなのですが、三宝寺池はまさにそういう地形に位置します。
もう少し南に行くと善福寺公園が、さらに進むと今度は井の頭公園があります。
これらの池は地下水系が、皆、同じと言われています。
昔の伝説ですが、三宝寺池に主と呼ばれる大きな鯉が住んでいました。
この鯉は頭のところに鳥居のような模様があり、その鯉が善福寺池でも目撃されたと伝わっています。
珍しい模様の鯉だから同じ鯉なのではないか?という話になり、ひょっとして池同士が地下のトンネルで繋がっているのではないか?なんて言われていたそうですが、現実的に考えると、この距離がトンネルで繋がることはなかなか難しいのではないかと思います。
つまり、これは同じ水系なんだよ、ということのいわれであると考えています」



――水神様はどのように祀られているのでしょうか?


宮司 「井の頭公園にも南側に弁天堂があるのですが、そこの階段を登ると住宅街に出ます。階段を登り切ったところに宇賀神という神様が祀ってあります。体は蛇でとぐろを巻いていて、頭がおじいさんになっています。
これは元々、弁財天の家来の神様(眷属)で、弁財天の仏像などを見ると頭の上に小さく乗っています。
弁天堂の近くには宇賀神が祀られている事が多いですね。
宇賀神は湧水などにも縁があるようで、泉があるところにも祀られているように思います。

 上から厳島神社、水神社、宇賀神社(穴弁天)
上から厳島神社、水神社、宇賀神社(穴弁天)

石神井公園の厳島神社、弁天様のところにも、土手のところに穴を掘り、洞窟のようになっている場所に宇賀神が祀られています。
土の中で湿度が高いものですから、本来は石で出来ていたと思われる像が、年月で侵食されたようで、かなり前に漆喰で固められています。
体は蛇で頭が人、という形状は宇賀神そのものなのですが、石神井公園のものはどう見ても頭が女性なんですね。
井の頭公園の池と弁天堂、宇賀神の配置と、石神井公園三宝寺池の配置(伽藍配置)が同じなように見受けます。
井の頭公園の宇賀神は階段を上がった所にあり、こちらは男性の頭。石神井のものは洞窟で、女性の頭であるのは、たまたまなのか理由があるのかわかりませんが、興味深い関連性だと思います」

地域に残る神社は、信仰の歴史の積み重ね

――氷川神社、諏訪神社、稲荷神社と兼務されているのでしょうか?


宮司 「石神井には下石神井に天祖神社、駅のそばには大鳥神社や石神井神社、和田稲荷神社があり、ふるさと文化館の隣には稲荷諏訪合神社がありますが、これら全て、私が宮司を兼務しております。
それから、大泉の神社も兼務しているものが何社かあります。
西大泉の諏訪神社もその一つです。兼務社の中には稲荷神社もたくさんあります。


まず氷川神社に祀られている主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。
大宮の氷川神社から御分霊をいただいて勧請しています。
大泉にある諏訪神社は、日蓮宗の寺院と所縁が深く、成り立ちが少し特殊なので、元来は三十番神社でした。
明治時代に諏訪神社と社号が変更されました。主祭神は長野県の諏訪大社と同じ建御名方神(たけみなかたのかみ)で、三十柱の神様が祀られています。
稲荷神社の御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ですね。総本宮としては京都の伏見稲荷神社があります。
こちらはその字の通り、稲作、お米を中心とした農作物の神様ですから、農村地帯ではお祀りしているところが多いです。
個人のお宅や商店・企業でお祀りする場合は、商売繁盛の意味合いが強くなると思います。
それから、八幡神社は、関東で大きいのは鶴岡八幡宮ですね。源氏の氏神ですよね。
こちらの総本宮は九州の宇佐八幡宮です。
誉田別尊(ほんだわけのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る神社です。
八幡神社は国家鎮護の神様といわれています」

 氷川神社に祀られている神様、ホームページやしおりでも確認できる
氷川神社に祀られている神様、ホームページやしおりでも確認できる

――ビルの屋上などに、小さな稲荷神社があるのを見たことがあります。


宮司 「稲荷神社は企業がお祀りすることが多い訳ですが、“小さな神社”として神様をお迎えする場合は、伏見稲荷や笠間稲荷など大きな稲荷神社に行き、御神体を分けていただき、祠を構えて、そこに神様をお迎えすることが必要になります。
個人宅でそうした祠を建てる家もありますが、それはなかなかに覚悟が必要になります。
後々の世代まできちんと守り、祀り続けないといけないわけですから。
そこまで重い祀り方ではなく、母家に神棚を祀るのと同じように、日中に作業をする畑の一角に“屋外に祀る神棚のような感覚“で祀る家が多かったようです。
祠を作り、幣串(へいぐし)という竹の串に紙垂(しで)をつけたものを祀り、神様に見守っていただいている訳です」



――最近ではマンション林立で、敷地内の一角に小さな祠があるような場合も見受けられますが、ここも昔は農家さんだったのでしょうか?

 私たちの素朴な疑問も、わかりやすく丁寧にご説明いただき助かります
私たちの素朴な疑問も、わかりやすく丁寧にご説明いただき助かります

宮司 「練馬では多くの場合、稲荷様が祀られているのは農家だと思います。
外の畑や田んぼを見守っていただきたいという強い思いの現れだと考えます。
ただ、どこの町でも、どの神様をお祀りするかはそれぞれの歴史ですから、必ずこうだ、ということはないと思います。
ですからマンションなど新しく開拓された場所が農家であったかはわかりません。
一般に神社は、ご参拝・崇敬する方が増えればそれだけ守っていきたい、より良くしたい、皆がお参りできるようにしたい、と大きくなっていくものだとは思います」



――地域が参加する催しを積極的に開催しているようですが、そのあたりについて教えてください。


宮司 「ここ石神井も、かつては田畑が集まる農村地帯でした。
そこが宅地造成され、マンションが建ち、多くの方が住むようになりました。
ここで寝て起き、朝に電車で出勤されるようなライフスタイルの方も大変多いと思います。
かつてののどかな農地の時代からこちらに住まわれている農村の文化いわば村の社会と、石神井の豊かな自然や環境に惹かれて新しく住み始めた方たちの共同体、この2つが同時に存在しているのだと思います。
同じ場所に住んでいるのですが両者が交わる機会は意外に少ないと思うのです。
これを混ぜてみたい、一緒にしたいと思ったのがきっかけです。
おそらくどこの神社の宮司さんも、同じようなことを考えていると思います」



――具体的にはどのようなイベントをされているのでしょうか?


宮司 「年に何回か開催しておりますが、たとえば“井のいち”や“ちゃが馬七夕”です。
“井のいち”は飲食店の出展やクラフトの物販、神楽殿でのジャズやポップスの演奏、各種ワークショップがある複合イベントです。
“ちゃが馬七夕”は月遅れの七夕を楽しむ行事で、“井のいち”夜の部といった感があります。
地域に新しく入ってきて起業している皆さんは、もともと住んでいる方よりも、町の魅力を外からの目線で直感的に分かっているように見受けます。
こうした方々からの提案を受けて始まった“井のいち”は、運営は実行委員会が行い、参加メンバーの本業は実に様々で、それぞれが各分野で活躍しているいわばプロフェッショナルばかりです。
適切な表現かわかりませんが、“一芸に秀でた”人がすごく多いような印象があります。石神井・大泉地区には音楽の演奏家も多いですね。

 一昨年の“井のいち”の様子、賑わっていますね!(宮司による撮影)
一昨年の“井のいち”の様子、賑わっていますね!(宮司による撮影)

意外かも知れませんが、神社にジャズって馴染むんですよ。
神楽殿でジャズやポップスのライブ演奏を行なう一方で、農家の氏子さんが取れたての野菜を販売したり、”ちゃが馬”(茅で作る馬、七夕に飾る)作り教室の講師をしていたりします。
昔ながらの石神井村と町としての石神井の融合ですね。
「神人共楽」と言いまして、神社は人々がお詣りする祈りの場であると同時に、神様と人々が共に楽しむ、楽しめる場でもありたいと思っています。
新しい融合がこの神社を中心にして盛り上がっているのはとても嬉しいことです。


神社は日常的に地域の皆さんの接点になっていると感じています。
例えば、境内で新嘗祭に奉献するために古代米の赤米を作っているのですが、私は米作りに関しては全くの素人なんです。
新しく町に住まわれた皆さんは『宮司、実が大きくなってきましたね!楽しみですね』なんてお声がけいただきます。
昔から住まれている方からは『もうそろそろ肥料を入れたほうが良いよ。根切りをする頃だよ』など、アドバイスをいただけたりします。
刈り入れの時もいろいろな方が面白がって参加してくれる。
結果的にこうした接点になっていることが、やがては町の今後の発展につながっていくんじゃないかなとも思っています」


<参考>シニアナビねりまでも、過去に「井のいち」・「ちゃが馬七夕」の取材を行なっています。
https://snavi-nerima.jp/supporter/detail.php?id=sprepo180



――神社の歴史はそこに「ある」だけでなく、地域と人々をつなげる「場」の役割もあると感じました。
ここからまた、私たちの想像もしない未来が始まると思うと、神社の参拝もちょっと新鮮な気持ちになるかもしれませんね。

 取材後、境内をご案内いただき、地域との繋がりを伺いました
取材後、境内をご案内いただき、地域との繋がりを伺いました
 地域に入る新しい人材とも積極的に交流を行い、多くのイベントも開催します
地域に入る新しい人材とも積極的に交流を行い、多くのイベントも開催します
 禰宜の奥野幹史さんは、宮司の弟、サイトの管理等も担当しています
禰宜の奥野幹史さんは、宮司の弟、サイトの管理等も担当しています

サポーターの取材後記

たてみーな
今回の取材で、長年の疑問が解けました。
街を歩いていると、時々小さな赤い鳥居やおやしろ(ほこら?)を見かけます。
個人の住宅のお庭とか、狭い路地の角とか、時にはデパートの屋上とか、企業のビルの屋上とか、小さな神社が点在しています。
この小さな神社たちは、なぜそこに存在しているのか。誰が作ったのか。謎でした。
今回の宮司さんのお話で、神社は、もともと「そのエリアを守るもの」というご説明に深く納得しました。
「鎮守さま」という言葉そのものです。
ずっと昔、まだ日本中が農地だったころ、その地域に住む人々が、平和な暮らしを祈った場所、それが神社の原形のようなのです。
科学の発達していない当時、天候不順や、地震、水害、疫病など、多くの災難に見舞われ、そんな時、人々は祈る事しかできなかった。
神社は人々のその祈りを受け止め、拠りどころになったことと思います。
「平穏無事に生きられますように」という庶民の願いを受け止めてくれる場所なのです。
個人の家の庭にある小さなおやしろは、「屋内の神棚の屋外版みたいなもの」という宮司さんのわかりやすい例えで、一気に神社が身近になりました。
神社の前を通るとき一礼する人が多いことを思うと、日本人には、無意識のうちに心の中に神様を敬う気持ちがあると思えてなりません。
旅先などで色々な名前の神社を見るたび、どのような違いがあるのかと思っていましたが、今回の取材でよく理解できました。他にも今まで知らなかったことが沢山わかり、ますます神社に興味が湧いてきました。機会を見つけて、井の頭公園の宇賀神を見にいきたいと思います。
ヒロちゃん
恥ずかしながら、神社というと京都・奈良の修学旅行で、固有の古い歴史の話を伺い、正直ほとんど理解できなかった記憶があります。
しかし、今回こんな身近な場所で、本当に長い間地域の平和と繁栄を願い、祈り続けて頂いていた存在がある事を知り、神社が持つ意義に深い感動を覚えました。
この歴史的な役割に加え、奥野宮司は地域の新旧の住民の融合を願い、各種のイベントを開催されていらっしゃいます。
地域に新しく入ってきて商売をやっている人は、かえってまちの魅力を分かっている。
こうした人からの提案を受け、「井のいち」が始まったそうで、主催するメンバーは、皆一芸に秀でている何らかのプロであると。
「神社には、単にお参りに来て頂くだけでなく、ここで何か一緒に楽しんで欲しい」とのコメントが印象的でした。
こうした宮司の熱い思いが、皆さんを動かし、色々な催しが実現されているものと理解しました。
(「ジャズは、(意外と)神社には合います」とのお話も興味深かったです)
神社で一番重要な事は、歴史を守っていくことで、誇りもここにある。
何よりも、まちが平安で栄えている事が大切であると感じました。
私は、石神井城の歴史にも関心があったので、今回はその鎮護の立場からの物語を伺う事ができ、まさに「二度おいしい」取材でした。

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