サポーター体験記
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練馬の一角で文化を染めていく〜友禅染の技法を駆使した高い染色技術〜
- 取材日
- 令和2年11月5日(木)
- 更新日
と、息子で現代表の光さん(手前)を訪問
文化勲章を受賞された数々の画家から全幅の信頼が寄せられる染色工房、
それがアート更鐡(さらてつ)です。今では再現どころか、
なかなか見ることもできない職人の技の世界。
気の遠くなるような努力とくり返しによって、唯一無二とも言える、
深い表現を可能にしている、その現場にお邪魔しました。
アート更鐡有限会社
取材ご担当:会長/萩原 一三(いちぞう)さん、代表取締役/萩原 光さん
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。
※お二方とも萩原さんなので、一三さんを「会長」、代表を「萩原さん」と表記します。
※以下、文中敬称略。
- 所在地
- 練馬区豊玉南3−8−11
- 電話
- 03-3993-3511
- URL
- www.japan-somemono.net
文化勲章受賞の画家たちから、続々と依頼の入る、再現性と品質
――私、風呂敷を首に巻いてきたんですよ。
もう少し大判だったり、長方形のものはあるんですか?
萩原 「二四幅と言って90cm×90cmのものがあります。
スカーフですと90cm以上から103cmなどがあります。
ただ、最近では110cm×110cmの、いわゆる大幅の風呂敷自体、少なくなってきていると思います。
染められる板場がなくなってきているんです。
それから大きな柄を染めるとなると、工程的にも大変ですから、その理由もあると思います」

身近なもの、取材の会話に花が咲きます
※サポーターが首に巻いている風呂敷は、ねりま観光センターがアート更鐡に別注したコラボ商品です。詳細は以下。
https://www.nerimakanko.jp/news/detail.php?notice_id=N000000016
――こういった染物は、どのような工程でできるのでしょうか?
萩原 「はい。まず生地を平にし、ピン!と板に貼ります。
そして、例えばこちらの製品ですと型紙捺染(かたがみなせん)と言って、すごく簡単に言えば、
型紙を作り、そこに、染料を混ぜた糊をスケージというヘラでおろして染めていきます。
あとでお見せします」
――これは、色のついた布の片方を染めてあるのでしょうか?
会長 「この作品は両面染めです。
うちの作業場は友禅染なんです。つまり友禅糊を使います。
これは米、米ぬかなどのベースに染料を入れて、色糊を作ります。
この色糊を使う為に、表が乾いたら、裏を塗ることが可能になります。
これも先ほどの代表の説明のように、一つひとつ型紙を作って染めていきます。
この布で言えば、まずベージュ、次に額どり、次にブルー、という具合に染めていくわけです。
ここには防染糊がついてますから、上に塗っても色が重ならないのです。
これが友禅糊のいちばんの特徴です。
これはうちのような板がある工場でないと、絶対にできません」

元は真っ白な布です

思い起こさせる色味です
――とても手間がかかるのですね。
会長 「そうなんです。
例えばこちらは東山魁夷(ひがしやまかいい)さんが文化勲章を受賞された時に、うちで作ったものです。
今回(2020年度の)文化勲章を、奥田元宗(げんそう)さんの奥さんで、人形作家の奥田小由女(さゆめ)さんが受賞されています。
この工場にもきてくれましたよ。
この作品も型紙を使って染めています。型紙友禅と言いながらも、型を使って、手描きに近いものを作ろうという意図のもと作りました。
型に糊を置いていくのは一緒ですが、筆やハケでぼかしを入れたりします。

ぼかしで入っている、これを手で行う!
このほかにも、もうお亡くなりになられてますが、
片岡球子(かたおかたまこ)さんが受賞された時にも、この北斎の風呂敷を作りました。
記念パーティーの開催時の記念品として依頼されました。
文化勲章を受賞されているかたからのご依頼は、とても多いですね」

現代美術館にあった原画を見に行ったそう
会長 「染物を作る時に、作家の先生から原画をいただきます。
その再現はとても難しく、先生方は芸術家ですから、納得されないこともあるわけです。
ある時、染め上がった製品をご自宅にお持ちしました。
先生は『うーん。。。』と唸っているわけです。
そこへお嬢様があらわれて一言、『これ、パパの絵よりもいいね!』と言ってくださった。
これで一発でO Kをもらいました。
そしてこちら、林武(はやしたけし)さんの作品です。
彼は、裸婦を描かせれば、と言われるくらいの作家ですが、この鯛もとても評価されました。
この作品を染物にしたことで、後に林さんからの繋がりで、どんどんお声が掛かるようになるんです」

筆致が、風呂敷上に完全に再現されている
――笑いながら楽しく語る会長ですが、そもそも作品を見慣れているご家族から出来栄えを褒められるのは、
それだけ染色の技術とそれを駆使した再現性が高いから。
謙遜されますが、繋がりのご紹介とはいえ、
文化勲章を受賞される作家さんからお声がかかり続けるのは、簡単でないこと。
仕事の質の高さが想像できるエピソードです。
美しい製品の裏側に込められた、数々の技術と工夫に日本文化の真髄を見る
――素人目に見ますと、このようにしぼ(縮緬・ちりめんのシワ)がある布に、
複雑な色味の絵を再現するのは難しそうに思えます。

Tシャツなど様々な分野に積極的に挑戦中
萩原 「おっしゃる通りですね。その凹凸も計算して、色味がどのように見えるかを考えて染めないといけません。
それと布ですから、縮むんです。
今は写真製版の技術も進歩していて、それなりの再現が可能ですが、
写真製版ですと、この生地の縮みに上手く対応できないのです。
だから一日とか比較的早いサイクルでどんどん作っていくわけです。
ただ、先ほどお見せしたような作品を再現するとなると、例え64枚※でも、染めに一週間やそれ以上かかることもあります。
その点、うちの場合は、生地を長時間置いておける板場がありますから丁寧に時間をかけて作ることができるんです」
※…反物・生地の生産時の長さに合わせて風呂敷を作るため、1回のロット数は、ほぼ64枚〜と決まっている。
会長 「私たちの仕事もいちばん最初は絹で作られた錦紗(きんしゃ)でした。
もう60年も前のことです。そのあと、世の中に縮緬が出てきます。
これは凹凸があるからやりにくい。
今はスケージを使いますが、私の現役時代は4寸(=約12cm)のコマを使っていました。
このコマを使って、生地の中の細かい谷間に染料を入れていくんです。
現代でも他の工場でもものすごく苦労していて、色が乗るように上下から3回擦るなど、手間をかけてやっています。
私自身はコマでやるのが一番いいと思っています。
これは、簡単に言えば、握り拳大の箱状の形をした、ヘラです。
材質は野球のバットなどに使用されていたアオダモや楓などを使い、コマの先にゴムがついたものと、無しのものがあります。
ただ、今ではこのコマを使う人もほとんどいません。
コマの跡が出ないようにするには、なんだかんだ言っても3年くらいは修行が必要なんです。
全体を把握するまでには、最低でも10年はかかります。

どれも日本に馴染み深いもの

彫られているのがわかります
型紙を彫る職人さんもほとんどいなくなってしまってます。友禅糊一つとっても、
糊の材料は米、米ぬか・赤ぬか・白ぬかが使われています。
これも日本の伝統的な文化なんです。
同じような技法で、例えばスカーフなんかをアメリカで染める場合には、向こうはとうもろこし、コーンを使います。
これをパウダーにして練って使うわけです。
この点は私も誇りに思っていますが、友禅糊の方が、防染力が圧倒的に優れています。
コーンパウダーだと弱いんですね。ですからそのために柄をよける型を作らなくちゃ上手くいかない。
色が乗せられないのです。
それから、縮緬を染めるには発色をよくするために、湿気も重要なんです。
それぞれの国で、それぞれにあった文化が出来上がっているんですね」
社名には、染物の文化を意味するいわれがあった!
会長 「当社の社名は“アート更鐡”です。更というのは、“更紗(さらさ)”という着物などに使う、
染めをした布生地のことなんですが、ここに、うちの先代である鐡次郎(てつじろう)の名を組み合わせて付けられています。
例えば型紙を作る会社であれば、型仁(かたじん)だとか、更紗を作っている工場は更仁(さらじん)などとするわけです。
だからうちは更鐡という屋号なんですよ。
先代は明治に生まれて、職人の元で修行をして、段々と屋号を名乗るようになります。
その後独立して、今の会社をやり始めました。

職人としての誇りを感じます
50、60年前に、今はもうないのですが、風呂敷問屋さんとお付き合いがありまして。
当時は、うちも色々な染めをやる工場ではなかったんですよ。
先ほど言ったように、分業制と言いますか、糊は糊屋さん、型は型屋さん、
ぼかしはぼかし専門の職人、という具合に今よりももっと各工程が専門職として成り立っていたんです。
ところが風呂敷を作る仕事となると、作家さんからの細かいオーダーに応えないといけないわけですから、
一工程だけではどうしても上手くいかない。
それで大正7年にその方がうちの爺さんに『なんとか一緒にやろう』と声をかけてくださって。
それからうちは風呂敷をやるようになったんですよ」
――会長が最初に手がけた横山大観の作品、それを作りあげるために、自ら創意工夫をし、
寸暇を惜しんで技術向上に取り組んだ話など、工場の至る所に目を見張る作品と、そのエピソードが散りばめられています。
決して大きな工場ではありませんが、その中に、ひとつの技術や文化が継承されるための、
さまざまな思いと確たる技術を持つ職人誇りが詰まっているのです。
そんなことを知る取材となりました。
特別に、工場を見学させていただきました!
――先ほどのインタビューで教えていただいたことが、この場所に来るとよく理解できます。
代表にご案内いただきました。

12mで、それに合わせて作られている

蒸すことで、色味を定着させる

誤差も出るが、それが風合いとなる

「丸」の図柄が浮かび上がる
画像では見づらいですが、「型」は厚紙に漆を塗って強度を上げたものに、細い刃物で図柄を彫って(切って)作成します。
円の線が、水の波紋のように重なる図柄ですと、そのまま作ると、内側の線が彫れません。
(外側の丸を切った時点で中が落ちてしまうため)
実現する方法としては、型を糸で繋ぐ方法と、上記のように半分の型を作って、型を回転させることで円を描きます。
そのため、図柄の繋ぎ目に機械では出せない味が出るというわけです!

そのままを見せていただきました
サポーターの取材後記
- れんげそう
- 事務所に入るなり、会長さんの奥さんすなわち、萩原さんのおかあさんが、日本茶を出してくださいました。ティーバッグのお茶ばかり飲んでいた私には、久々に、とてもおいしい日本茶でした。赤い鎌倉彫の茶托にのせた、益子焼風の湯飲みで供してくださいました。しかし、益子とは形が異なり、現代風でした。この湯飲みは、会長さんが染め物実践を息子たちに引き渡して引退した後の作品だそうでした。
工場を見学し、話を聞くうちに、このお茶提供の方法と精神は、現在の大量生産の物品に囲まれた生活の中で、日本の伝統工芸の方法を駆使しようとする精神と同じだと思いました。見せてはもらえませんでしたけれど、今やっている仕事は、Tシャツだそうです。
- リツさん
- 創業113年と明治から永きにわたり受け継いでこられた「アート更鐡」さんに今回取材ができたことは、伝統工芸と真に縁のない生活をしてきました私にとり、驚きと感動に心を打たれました。3代目萩原一三さん、4代目萩原光さん親子から染色手法等の説明やお話を聞いていくうちに、伝統工芸を次世代に残していくことが、いかに大変で難しいものかを痛いほど心に感じさせられました。特に、綿やシルクの生地に幾重の型紙をおき、染色を繰り返して落とし込む事が出来るかに難しさ・こだわり・伝統技術が感じ取れました。加えて、色合わせ・染色・蒸す・洗い・乾燥と多工程においても、日本には「四季」があり、それぞれの工程で気候に合わせた微妙な調整が必要となり、あの織物の美しさがより良く仕上がることに、改めて感激いたしました。今回練馬にも伝統を守ろうとする人が力強く存在している事に驚かされましたし、練馬伝統染色家にお会いできたことは、とても幸せな取材でした。
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