サポーター体験記
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練馬区にも息づく、文化の潮流 「能」の魅力に迫る

練馬区にも息づく、文化の潮流 「能」の魅力に迫る
澤田先生は、能のシテ方(してかた)の
5つの流派の一つ、宝生流を教えている

観阿弥・世阿弥に能舞台。歴史やT Vでも良く観る、日本の代表的な
芸能・文化のはずなのに、知っているようで知らない、能の世界。
実は練馬区にもとても身近なところでその文化はずっと継承されています。
どこか敷居の高いイメージですが、
今回の体験記で少しでも身近に感じてもらえたら嬉しいです。

郁雲会(いくうんかい)

取材ご担当:澤田 郁代さん
※以下、文中敬称略。
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。

電話
03-3974-0122
URL
https://sawada-noh.com/

“この世にこれほど美しいものがあったのか“、その感動が原点です

――澤田先生の「能」との出会いについて教えてください。また何年くらい続けていらっしゃいますか?


澤田 「昭和25年、私が中学の頃、
福岡の薬院に、学校で能の映画(宝生院・野口兼資(のぐちかねすけ)の“羽衣”)を見たのがきっかけです。
もう70年前になります。
あの頃は終戦直後で、人々は日々の生活に追われ、芸術を鑑賞したり、趣味を楽しむような余裕はありませんでした。
そんな時代でしたが、付属中学校で学んでいたためか、九州の果てにいながら、能の世界と接点を持てたのは幸運でした。
“羽衣“を見たときは、『この世にこんなに美しいものがあるのか』と非常に感動したことを覚えています。

 澤田郁代先生、能に魅せられてこの世界に
なんと66年!息子さんも能を継承されている
澤田郁代先生、能に魅せられてこの世界に
なんと66年!息子さんも能を継承されている

大学一年の4月からずっと続けていますが、途中結婚し、東京を離れ嫁ぎ先の三重で子育てをしました。
その時は当時の先生(故、渡邊三郎氏)が私のところまで来てくださり、何人か集まってお寺で稽古を行っていました。
子供が小さかったので、稽古場に連れて行きましたが、男の子2人だったので、お寺の鐘がありますでしょう?
あそこに出たり入ったり、いたずらばかりして先生から『あなたはもう来なくていいよ』なんて言われてしまいましたね(笑)。


仕方なく、当時ソノシート※で100番集という教材があったので、それを聞いて練習しました。
子供たちにとっては、子守唄がわりでしょうか。そのせいかは分かりませんが、下の子は現在、能楽師になっています」
※…レコードと比べ、薄く、かつ柔らかい資材の音原盤。かつて雑誌の付録などで多用された。色は赤や青が多かった。


――澤田先生がそこまで惹かれる能の魅力とは、どんなものなのでしょうか?


澤田 「話せば長くなるのですが。。。
そもそも私が福岡に行ったのは、父の実家があったからなんですね。
もともとは広島に居りましたが、原爆が落ち、爆心地に近かったこともあり、一家7人のうち私一人だけが生き残ったんです。
当時8歳でしたが、たまたま福岡の父の実家の住所を言えたものですから、すぐに連絡が入り、叔母が私を看病してくれました。
9月の末に退院し、祖母の待つ福岡に行ったのです。


父の弟は軍隊に居りまして、翌年の6月に帰ってきました。そこから高校までは福岡でした。
叔父はとても良い人で、『もし父が生きていたらしたであろうことを全部やるんだ』と、よく言ってました。
その頃私が住んでいた場所は九州の村でして、女性でしかも
東京の大学に行くのは非常に珍しかったのですが、大学に行かせてもらいました。
後から聞いた話では、叔父としては私が大学には合格しないだろう、と思っていたようで、
受けるだけは受けてみろ、という状況だったようですよ。

 憧れからの純粋さと強い意志が同居する、
先生の凛とした姿の背景を知る
憧れからの純粋さと強い意志が同居する、
先生の凛とした姿の背景を知る

とにかく、私は家族で唯一生き残ったわけですので、弔いの人生なんだよ、とずっと周りに言われ続けてきました。
ですから、当時はゆくゆく尼になるのが当然のような雰囲気でしたが、私自身がそういった後ろ向きの生き方が嫌でした。
あとは冒頭にお話しした通り、付属中学だったので、戦後教育方針がガラリと変わり、
映像で、名人・野口兼資の“羽衣”を見た時から、この道を進んでいます」

好きの想いは、息子さんにつなぐ

――66年も続けられる秘訣というのは、なんでしょうか?


澤田 「やはり好きなんでしょうね。私はもともと陸上競技をやっていまして、
大学で能を選んだ時も、憧れはありましたが、感覚的にはそれこそスポーツだったんです。
能は見た目以上に体力を使います。同級生とのお付き合いも長いですが、
一番足腰がしっかりしている、なんてよく言われますよ」



――郁雲会のホームページを拝見しましたが、澤田宏司(さわだこうじ)さんが次男でいらっしゃいますね。
彼は大学の1年から、とありましたが、部活動か何かですか?

 実はシニアナビサポーターと先生は
同郷・同級生!話にも花が咲きます
実はシニアナビサポーターと先生は
同郷・同級生!話にも花が咲きます

澤田 「能楽部でした。
皆、ほとんど大学から能を始めます。ちなみに私も大学からです。
福岡から来てますから、寮に入って、3〜4人部屋でしたね。縦割りでしたので、上級生と相部屋・共同生活でした。
個人差はありますが、大学の4年間でもある程度は舞えるようになります。
当時は今よりもずっと活動が盛んでして、東京だけで20を超える部があったと思います。
息子は今、京都大学で教えていますが、学生は勉強そっちのけで能にのめり込んでるようですよ(笑)。


息子が能楽師になったのは、私の稽古について来たのがきっかけでした。
私達が東京に出てきてしばらく、当時彼は幼稚園児だったのですが、その当時は私の謡(うたい)の稽古が1日がかりだったんです。
というのは、いつ自分の順番が回ってくるかわかりませんから。
ある時、幼稚園のお迎えの時間に間に合わなくて、友達のお母さんに連れて帰ってもらい玄関のドアの前で彼が大泣きしていました。
私は『これではいけない』と思い、それからは彼も一緒に稽古に連れて行くようにしました。
そうこうしているうちに、先生が『やらせてみてはどうか?』と言ってくださり、それで、小学校一年生の時から始めています。
ただ、男の子は声変わりしますよね?だから能の子方(こがた=子供の役)をしていたのですが、六年生でぴったり辞めました。
その後、彼は京大に進学しますが、そこでたまたま宝生流のクラブを見つけて、能を再開したようです。

 下の木が張盤(はりばん)、上の扇の形をした物が張扇
(はりおうぎ)、これで張盤を叩き謡のリズムを取ります
下の木が張盤(はりばん)、上の扇の形をした物が張扇
(はりおうぎ)、これで張盤を叩き謡のリズムを取ります

本人も昔やっていて、好きだったのもあるでしょうが、そこの先生がプロにしたいと言ってくださって、
京大の大学院を中退し、東京藝術大学に入り直して、本格的に学びました。
そのため彼は人より10年遅れてるのですが、本当に好きなものなので、大変な世界だけど続けていられるのだと思います」



――芸大には家元の家系で学びに来る学生さんも多いと思います。
一般の家庭から若者が学校で学んで挑戦できる門戸を広げたのは、文化の継承という意味で大きいですね。


澤田 「最近はむしろ、一般の方からプロになるケースが多いですよ。
意外と名人の家系のお子さんが、親の職業を継がないんです。
昔ならそれこそ叩いてでもやらせたんでしょうけど、
今は一度きりの人生だから自分の好きな道を行けば良い、という考え方になってきているようです。


私がこの場所を作ったのも、息子のためです。
特に東京は稽古場が少なく、この場所があれば、息子も自分の都合で使うことができます。
私が習っている鼓の先生も、月に2回、この場所を借りてくださっていて、
ありがたいことに予約でほとんど空きがない状態になっています。
昔は先生でも自身の稽古場を持っていたのですが、先ほどのように息子の代で別の道を歩んだり、
相続の時に税金がかかるということで、取り壊してしまうこともあります」

 マンション室内に三間(さんげん)×
三間の原寸大の舞台が再現されています
マンション室内に三間(さんげん)×
三間の原寸大の舞台が再現されています


能は身近にある 次の代にどうやってつなげていくかが、当面の課題

――練馬にも能関連の著名な方は結構たくさんいらっしゃいますよね。
野村万作さんはもちろん、私の知人でも能をテーマにした絵画を描かれる方がいます。


澤田 「現在の練馬区長も能の謡をやられていると聞いています。
それもあり、薪能などのイベントを熱心にされているのかもしれませんね。
私も以前は練馬区役所の方にも教えていました。区役所の上階には和室スペースがあって、そこでお稽古をしていたのですよ。
現在はクラブ活動は無くなりましたが、今でもかつての生徒さんが習いにきてくださいます」



――区役所で能のお稽古ですか?
ものすごく身近ですね。現在澤田先生は、月に何回くらい教えてらっしゃいますか?

 練馬区役所でも教えていたとは!
普段良く利用するだけに親近感を覚えます
練馬区役所でも教えていたとは!
普段良く利用するだけに親近感を覚えます

澤田 「月に6回ですね。私の弟子は今は16人程ですが、皆、高齢になっています。
最高齢は96歳です。有料老人ホームにいらっしゃるのですが、タクシーでここまで通ってこられます。
現在は新型コロナの影響で移動を控えてますが、この状況は能にも影響があり、
謡は仕切りがあるのでマスクを外しますが、舞はマスクをしたままです。とても苦しいですね。


私の弟子は皆女性で、主婦の方が多いのですが、今の方は忙しいでしょう?
ですから私の教室も予約制にして、待たなくて良いようにしています。
ただ、他の人の稽古の様子を見聞きすることはとても良い勉強になります。
昨日だったかな?お稽古が終わった生徒が昼食を摂るということで、ここで休憩がてら次のお稽古を見学してたんですね。
結局その彼女も次のお稽古が終わるまでここにいて、最後に『本当に勉強になりますね』と言っていました」



――澤田先生が若かりし頃は、女性が能をやることに対しては厳しかったのではないですか?


澤田 「ところがね。一番最初にやり始めたのは、世が世なら、徳川のお姫様だった人なんですよ。
それから家元のお嬢さんがやりたい、と言い始めたそうです。
それで芸大を出ることで、女性もプロになれる道につながるんです。
男性は、小さい頃から習い、楽屋入りと言って楽屋に入って、見様みまねでも努力を続ければプロになれます。
このあたりに差があるのは、男性社会的であるとも言えますね。
演目によっては不浄だからと女性では舞えない、楽屋にすら入れないものもあるくらいです。

 冊子はとても平易な文章で、分かりやすく
書かれており初心者には馴染みやすい
冊子はとても平易な文章で、分かりやすく
書かれており初心者には馴染みやすい

まだまだ、知っているようで知られていないのが能の世界ですから、
丁寧に分かりやすく能・狂言を説明した冊子も用意してあります。
今、学生さんになんとか体験をしてもらおうと頑張っています。クラブが途切れて、数十年経つことも少なくありません。
学校が発行している会報に積極的に出るようにしたり、“能楽教室へのお誘い”というミニリーフレットを作成し、
1回500円で気軽にチャレンジできる環境も作っています。
とにかく、次の代に繋げること、少しでも広めることに、今は注力しています」

 インタビュー後、舞を見せてくださいました
本物の所作はそれだけで空気が変わります
インタビュー後、舞を見せてくださいました
本物の所作はそれだけで空気が変わります

練馬の街のあちこちに“能”の文化がひっそりと、しかし脈々と残っていることを改めて知りました。
謡であれば、文化という側面だけでなく、単純に声を出したい人(例えばストレス発散など)におすすめです。
また、足腰をかなり使うものなので、ずっと歩きたい人などには持ってこい!とも言える能。
もっともっと気軽にこの世界に触れてみるのも楽しいのかな、と思いました。

サポーターの取材後記

ヨスケ
今回の取材で印象的だったことは、私が思っていた以上に澤田さんはしっかりした意志で能と向き合いっている、取り組んでいるんだな と改めて思い知らされたことです。同行したサポーターの質問で、練馬のしかもごく近所にも能があり続けたことには驚きを隠せません。稽古の場所である能楽堂や舞台が不足している理由については、私の想像を超える事情がある反面、文化の担い手である後継ぎや継承者の問題も見え隠れし、日本が抱える他の様々な問題と同様、能において例外ではないことも知りました。とはいえ、これからも、比較的恵まれた環境を作り出せているここ練馬で、澤田さんが一層活躍されることを祈っています。
らいな
実は練馬区、下掛宝生流(ワキ方)の宗家である宝生欣哉先生、また、能楽笛方としてキャリアをスタートさせてから、角笛やリコーダーにまで表現方法を広げておられる一噌幸弘先生(もちろん練馬薪能にもご出演)の地元でもありまして、能には浅からぬ縁があるとは知っていましたが、まさかわたしの実家から歩いて5分の場所に、こんな立派な能舞台があったとは!郁雲会ができて40年。知っている人がどれだけいらっしゃるのかと思うと、これはシニアナビがなんとかしなければいけないという気持ちにさせられます。ヨスケさんのご推薦、タイムリーかつ貴重な取材になりました。
能楽師の世界で、女性は肩身が狭いのも知っておりましたが、澤田先生をはじめとした先駆けの女性能楽師たちの苦労の積み重ねをへて、女性も活躍できる時代になったのだな、と感慨深く受け止めました。とてもいきいきとして美しい先生の姿を見て、自分もがんばらなければ!という気持ちにさせられました。

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