サポーター体験記
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アーティストがご案内!古くて新しい、初心者のための富士塚鑑賞ガイド

アーティストがご案内!古くて新しい、初心者のための富士塚鑑賞ガイド
町中に突如現れる下練馬の富士塚
富士塚の魅力に迫る(猫も登っています)
練馬区には、4つの富士塚があります。富士塚は、富士山信仰を具現化したもので、今でも人々の生活に息づく一つの信仰の形です。神社とセットになった小山が“塚”なのですが、皆さんは登拝されたことはありますか?歴史や背景をひも解いていくと、実に好奇心にかられる姿が見えてきます。今回は、美術家で富士塚にも詳しい山本さんをガイドに迎え、私たちにも分かり易く、その楽しみ方を教えていただきました。

今回の案内人:美術家 山本 麻世(やまもとあさよ)さん

※以下、文中敬称略。

名称
下練馬の富士塚/江古田の富士塚(いずれも浅間神社)
所在地(下練馬)
179-0081 東京都練馬区北町2丁目41番
所在地(江古田)
176-0004 東京都練馬区小竹町1丁目59番
電話(下練馬)
なし
電話(江古田)
03-3957-6662
URL
なし

山本さんと巡る富士塚、富士信仰と富士講について尋ねる

山本さんと巡る富士塚、富士信仰と富士講について尋ねる 山本さんは、美術家ならではの視点とともに
山岳信仰への造詣も深い
山本さんは、美術家ならではの視点とともに
山岳信仰への造詣も深い

まず、山本さんを簡単にご紹介します。
山本さんは練馬生まれの美術家で、現在も練馬にお住まいです。多摩美術大学大学院美術学部工芸科修了後、2005年~2008年まではオランダのアムステルダム、ヘリットリートフェルト・アカデミー陶芸学科に在籍。2008年~2009年は、サンドベルグ・インスティテュート、ファインアート学科(こちらもアムステルダム)で学ばれています。2011年の『六甲ミーツアート芸術散歩2011』で制作した“ぬえのしっぽ”というアート作品が、公募大賞特別賞 彫刻の森美術館賞を受賞するなど、現役で活躍する美術家です。近年、練馬区では練馬区立美術館運営協議会委員と練馬区立美術館再整備基本構想策定検討委員会委員もしています。

―――山本さんはそもそもなぜ、富士塚に興味を持ったのですか?

山本 「私がオランダで生活していたころの話ですが、何か議論をするときに外国人の友達はYes/Noとはっきり意見が言えていました。一方、私のような日本人は曖昧で調和を重んじるグレーゾーンの返答をしてばかりいました。このような他国との発言、思想の差異に興味を持ったことが、そもそもの始まりです。この違いを自分なりに勉強していくうちに、日本人がはっきりしたことをなかなか言えないのは、『もしかして、日本特有の自然環境が影響しているのではないか?』と気づいたのです。例えば海外のある地域では、地震も火山の噴火も、それらによる津波も頻繁には発生しません。日本のように、積み上げてきたものが、ある時、説明のつかない理由で突然ゼロになる。そういう経験がない国と日本では、物事の捉え方が異なるのではないでしょうか?」

「何事も絶対不変のものはない、という前提が日本なのではないか?と考え始め、私自身の芸術家としてのテーマもアニミズム(=自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという信仰)や、自然崇拝、女性の身体を神秘的なものとして捉えたものに行きつきます。このアニミズムと富士塚は、とても親和性が高く、それで興味を持ったのです」

なるほど。。。アートの世界で活躍される山本さんの根源は、もしかすると練馬の富士塚にある?!と言えるかもしれませんね。
では早速、山本さんの案内で富士塚を巡ってみましょう!
まずは下練馬の富士塚からです。
東武練馬駅に集合し、ゆっくり歩いて現地に向かいます。道中で富士塚の背景について説明してもらいます。


山本 「富士塚を理解するために、『富士信仰』と『富士講』について、簡単に知っておくとよいと思います。
そもそも富士信仰は、皆さんもご存知の富士山が、文字通りの総本山です。富士山はしばしば噴火をしており、山麓付近に住む人々に甚大な被害を与えていました。そのためその噴火を抑えるために、火の神または水徳の神であるとされた木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)をご神体として、神社に勧請(かんじょう※)されています。
また、富士山の神霊として『浅間大神』が考えられているため、基本的に富士山に関連のある神社は皆、浅間神社と呼ばれているんですよ。
※勧請・・・神仏の分霊をお迎えすること。

いつから富士山の神様=木花咲耶姫、とされるようになったのか、正確なところは不明ですが、日本各地に存在する浅間神社のなかには、木花咲耶姫の父神である大山祇神(オオヤマツミ)や、姉神である磐長姫(イワナガヒメ)を主祭神とするところもあります
いずれにしても、富士山と木花咲耶姫、そして浅間神社はとても密接な関係があるのです。さあ、そろそろ下練馬の富士塚に到着します」


商店街の中に突然、神社は現れます。下練馬の富士塚は、社務所が併設されておらず、その意味では誰でも気軽
に訪ねることができます。取材当日も、数人のお客さんが熱心に写真を撮ったり見学していました。
御手水(おちょうず)が自動化されているなど、無人でもなかなか快適です。この御手水の岩は富士山の溶岩でできており、かつての富士講が、現地からここまで運んで来たのだとか。境内に入ると目の前にドン、と小高い丘が現れます。(南側が約5mで北側4mほど)一回り小さな鳥居がこの“山”の入り口のようです。
確かに小さな鳥居には「浅間神社」と掲げてあります。

 富士山の溶岩でできた御手水は
手をかざすと水が出る仕様、意外とハイテク
富士山の溶岩でできた御手水は
手をかざすと水が出る仕様、意外とハイテク

山本 「見学前に、富士講についてもお話ししますね。富士講は、一般的には、江戸時代に成立した民衆信仰のひとつで、角行(かくぎょう)の系譜を汲んでいます。角行とは、この信仰のシンボル的な存在で、信仰上の開祖とされています。
富士講の歴史は古く、江戸を中心とした関東全域で流行しました。講(こう)というのは、法会(ほうえ)の一種でして、もともとは、仏教において法を説くため、あるいは供養を行うための僧侶や信徒の集まりのことで、やがて仏教に限らず様々な信仰の集団のことも言うようになりました。
ですので、富士講を簡単に言えば、『富士信仰を行う庶民の集まり』ということになります。

昔はこの富士講の集まりで、神社や富士塚を維持していましたが、時代が流れるにつれ、神社や町内会がその役割を担っています。
この富士塚の管理は、板橋区にある北野神社が行っていまして、御朱印はそこでもらうことができます」

つづら折りの順路にそって、いざ登頂!

つづら折りの順路にそって、いざ登頂! 下練馬の富士塚には細かな案内板が
設置されている
下練馬の富士塚には細かな案内板が
設置されている

山本 「実際の富士山は、明治5年ころまで女人禁制の場があったそうです。富士山が木花咲耶姫、つまり女性の神様を祀っていたためとか、女性は昔、穢れがあるとされ、霊峰に踏み入るとその年の農業が不作になる、という考え方が根強かったのです」

富士山を模してつくられたというこの参道は、幅はかなり狭く、人が一人通るのがやっとです。わずか6mとはいえ、意外と良い運動になるレベルです。登るには十分注意が必要ですので、スニーカーなど滑りにくい靴の方が良いと思いました。一合目、二合目、と石碑で距離の標識がちゃんと置いてあり、途中、人物の石像や猿の石像もあります。富士塚に猿があるのは、実は練馬区独特なものだそう。

山本 「なぜ猿があるかといいますと、富士山は紀元前301年の庚申(かのえさる)の年に姿を現したとされており、これを富士山の誕生年とする伝説があるからです。申年にちなみ、猿の像があるというわけです。ちなみに干支が5周する周期、つまり60年に一度の庚申の年を『御縁年』と呼んでおり、この年に富士山に登ると、1回の登頂が33回に相当するほどのご利益があるとされたり、女人禁制も緩和されたりしたので、特に登山者が多かったそうです。

 細かなところまで作り込まれた
猿の石像、見ていると不思議と気持ちが和む
細かなところまで作り込まれた
猿の石像、見ていると不思議と気持ちが和む

下練馬の富士塚は『登山ルートと下山ルート』が決まっています。
掲示板の赤のルートが登山道で、青のルートが下山道です。
お中道(御中道=おちゅうどう)と呼ばれる、実際の富士山を一周するルートもちゃんと再現されているんですよ!
お中道は、富士講の信者の修行としても利用される険しい道で、標高2,300m~2,800m付近、富士山の五合目〜六合目あたりを一周する登山道ですが、現在は一部、廃止されています。この道は、3回以上の富士登山の経験と誓約書などがないと通る許可が下りない程険しかったそうですよ。
下練馬の富士塚は、さすがにここまで険しくないですし、誓約書もいりません(笑)。ここまで凝って作られている富士塚もあれば、横浜などでは、直線的な階段が設置されているだけの、シンプルな富士塚もあります」

 富士山の方角を示すプレート、富士塚に登ると
少し、富士山に近づいた気持ちに
富士山の方角を示すプレート、富士塚に登ると
少し、富士山に近づいた気持ちに

・・・意外と奥が深いのですね。昔は女人禁制であったり、そもそも遠かったりと、誰もが簡単に富士山に登れたわけではありません。せめてそのご利益の恩恵をと、熱心な信者=講によって、関東各地につくられたものが富士塚。本格的な登山ほどではないまでも、ルートに沿って登ると達成感がすごいです。
頂上には、富士山の方角を示すプレートがあったり、標高も37.7mと実際の富士山の3776mの100分の1にしてあったりと、かなり忠実に再現されています。建設時は5cm足りなくて、あとで合わせたという逸話も。そのこだわりも含め、庶民の信仰の対象として大事にされている様が細かなところから伝わってきます。
ゆっくり、足元を確認しながら下山ルートで降りましょう。

地元っ子には当たり前の存在、遊び場だった江古田浅間神社の富士塚

地元っ子には当たり前の存在、遊び場だった江古田浅間神社の富士塚 江古田浅間神社、富士塚も境内も
下練馬のものより大きい
江古田浅間神社、富士塚も境内も
下練馬のものより大きい

続いて、江古田にある氷川神社境内の富士塚を目指します。
電車とバスを乗り継いでの移動です。バス停での待ち時間にも、富士塚のことを教えてもらいます。

―――富士塚は、どのようにして造られるのでしょうか?

山本 「基本的には、人造されています。中にはすでに存在する丘や古墳などを転用して富士山に見立てたものや、実際の富士山の溶岩を積み上げたものもあります。溶岩は、山全てではなくとも、例えば目立つところに設置したりするケースもあります。先ほどの下練馬の富士塚の御手水は、まさにシンボル的なものですね。それもあって、東京都内の富士塚の外観は、全体的に黒っぽいものが多いんですよ。

富士塚は通常、浅間神社の境内にあって、本物の富士山の山頂にある『浅間神社奥宮』に対応するように、これらの山頂にも小さな宮や祠(ほこら)が設けられています。基本的に富士塚の上からは本物の富士山を望むことができるように造られているものがほとんどなのですが、近年では、家屋の高層化に伴って、富士山を直接見ることが出来る富士塚はほとんどありません。
練馬区にある富士塚は、全部で4カ所。下練馬の富士塚、国の重要有形民俗文化財である江古田の浅間神社の富士塚、八坂神社境内の大泉富士、そして大松氷川神社の富士塚です」

山本さんは、氷川台周辺の文化財保護推進員もされているそうで、富士塚の様々な背景をよくご存じです。
例えば、練馬区の隣、豊島区千川付近の「豊島長崎の富士塚」などは、洞窟があるそうです。これは富士山を女性に見立てた、胎内信仰の一種とも考えられているとのこと。山本さんのアートの源泉にもなっているそうです。
※残念ながら一般の見学はできません。

バスに乗って、江古田駅前の浅間神社に向かいます。

山本「私は子供時分にこの付近に住んでいました。今考えるとバチ当たりかもしれないですが、夏の夜などは江古田浅間神社の境内で鬼ごっこなどをして楽しんでいました。真っ暗で少し怖かった記憶もありますが、不思議と落ち着いて、私も含めて地元の子供たちにとっては、富士塚はあって当たり前の、身近な存在だったんですよ」

実は、東京と埼玉にある
『江古田の富士塚(練馬区:小竹町の茅原浅間神社境内)』、
『豊島長崎の富士塚(豊島区:高松の富士浅間神社境内)』、
『下谷坂本の富士塚(台東区:下谷の小野照崎神社境内)』、
『木曽呂の富士塚(埼玉県:川口市東内野)』
の4つの富士塚は、国の重要有形民俗文化財でもあります。
そのため整備も含め、勝手にいじることはできません。鬱蒼とした木々に覆われてはいますが、良い意味では比較的昔のままの形を残せる、大きな要因でもあるのです」

残念ながら、取材当日はこちらの富士塚に登ることはできませんでしたが、事前に下練馬で学習していますので、あちこちのチェックポイントが自然と目に入ってきます。
浅間神社と書かれた鳥居、猿の石像、山頂にわずかに見える白っぽい鳥居に小さな宮(祠)、ここでも富士信仰を重んじた形式がはっきりと見て取れます。

 富士塚の中央、木々の中に小さな鳥居と
宮(祠)が見えるでしょうか
富士塚の中央、木々の中に小さな鳥居と
宮(祠)が見えるでしょうか

現代に息づく富士信仰、新しい楽しみ方とは?

現代に息づく富士信仰、新しい楽しみ方とは? 子ども時代を振り返り、
思い出を語る山本さん
子ども時代を振り返り、
思い出を語る山本さん

江古田の富士塚は、年に3回しか公開されません。年始の三が日、山開きの7月1日、例大祭の9月第二週の土、日曜です。
江古田には今も5人、富士講を行っている方がいるそうで、文化を継承しています。
山本 「時代の流れもあり、富士講は当時ほど盛んでなくなっています。ただ、今こうして私たちが練馬で富士塚を楽しめるのは、地元の方や地域の方の気持ちで守られているから、と言っても過言ではないでしょう。信仰の形を変えて、興味的な側面やパワースポットとして、あるいは私のようにアートのモチーフとしても再び富士塚に注目が集まることは、とても良いことだと思います。
身近にある信仰の対象を大事に守ってきた当時の人々の暮らしに想いを巡らせながら、散歩を兼ねて自分なりの楽しみ方を見つけに出かけてみるのも、新しい富士講のありかたではないでしょうか」

本物の富士山も、世界的な人気ゆえに入山規制がされていたり、ゴミの問題もニュースなどでしばしば耳にします。江古田の富士塚もこのままの雰囲気を大切に残すためには、限定的な公開も仕方ないのかもしれない、と感じました。
練馬に残る数多くの文化財や風習も、同じように誰かが始め、ずっと守ってきた積み重ねです。

豊かな文化が色濃く残る練馬区のすばらしさを感じながら、今度はゆっくりと富士塚を巡ってみようと思います。洒落た喫茶店でコーヒーを飲みながらの散歩も、きっと楽しいことでしょう。

サポーターの取材後記

☆トコちゃん☆
お若いけどしっかりお勉強をされている山本さんのガイドで、今回は整備された下練馬と国の文化財に指定されている江古田浅間神社の対照的な2つの富士塚を見学しました。比較することで、一つ一つの違いがよくわかりました。
移動中、地元の方から声をかけられたり旧川越街道、江古田の街をワンポイントで案内して頂きとっても楽しい取材になりました。
どちらも駅の近くにあり富士塚初心者の私は是非、皆さんにオススメしたいと思いました。

豆柴
東武練馬駅でサポーターの皆さんと待ち合わせ、地元在住、美術専攻の山本さんにガイド役を依頼する。まず下練馬の富士塚へ、川越街道、商店街を抜け徒歩5分小さな神社と小山が見える。手を清め参拝、私としては富士登山は夢のまた夢、それが一合目から5分で十合目、山頂へ実物の100分の一、37.76mとあるのが印象的である。
日本人は昔から富士山への信仰心は強いが、江戸時代から多くの人が、地元で富士講を結成、それぞれ歴史、文化があり地元の方々に大切に管理されているのであろう。
単に富士山のミニチュアとは思えない、厳粛さを感じながら下山、なんと下山道もある。
周辺の開発で富士山は見えないが、かつては素晴らしい景観であったと思われる。
次は西武池袋線江古田駅至近の江古田富士へ、残念ながら年3回しか公開されない。いずれ挑戦しようと思った。
富士塚は練馬区内に5箇所あるとのこと、一箇所は個人の邸内で非公開、他は大泉富士、大松氷川神社の富士塚、二時間で二つの富士山へ、なんとも贅沢な行程であった。
是非、身近な富士塚を訪ねてみませんか。
みずすまし
江戸時代の大衆が、死後の極楽浄土を求め、土木機械の無かった昔に、平地に富士山を模した象徴を作り、後に残した文化財「富士塚」を訪れ、往時の苦労と、200余年の間、守り続けた先人の努力に感銘の体験をしました。当時は信仰の人が集まり、「食事処」や「休み処」で賑わいの街並みは、商店街に形を変え残されています。
今回訪れた下練馬・江古田の他にも「富士塚」は、練馬区だけでも数多くある様です。先ずは、地元春日町の「富士塚」を訪れてみようと思います。その様な「富士塚」歴史探訪と街歩き、行動を広げる契機となる楽しい一日でした。

サポーター紹介