サポーター体験記
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さようなら 地域の自慢「ブレヒトの芝居小屋」――数々の芝居によって実現した文化の交流を続けるために――

さようなら 地域の自慢「ブレヒトの芝居小屋」
劇場入り口にて、代表のお二人と記念撮影。取材開始!
知る人ぞ知る「ブレヒトの芝居小屋」は、西武新宿線武蔵関駅北口より徒歩6分、新青梅街道沿いに在ります。昭和を感じる佇まいのここから、近隣はもとより日本中へ、そして世界に発信し続けてきた演劇文化が、これほど尊く、価値あるものとあらためて深く感じた取材となりました。(以下、文中の敬称略)

ブレヒトの芝居小屋(TEE東京演劇アンサンブルの拠点劇場)

所在地
練馬区関町北4-35-17
TEL
03-3920-5232
FAX
03-3920-4433
URL
http://www.tee.co.jp
TEE
東京演劇アンサンブル代表 入江洋佑さん 志賀澤子さん
TEE
東京演劇アンサンブル制作 小森明子さん

時代と世界に向き合う前衛劇場

時代と世界に向き合う前衛劇場 次回公演の準備の様子。この細い足場が次の作品の舞台。どんな演出になるのでしょう?
次回公演の準備の様子。この細い足場が次の作品の舞台。どんな演出になるのでしょう?

「ブレヒトの芝居小屋」が武蔵関に誕生したのは1980年。以来38年間、数多くの演劇を生み出した劇場内を案内していただきました。
取材時は9月の公演に向けての舞台作りと稽古の真っ最中。(ベルトルト・ブレヒト作『トゥランドット姫あるいは嘘のウワヌリ大会議』9月7日~17日)

――この劇場にはどんな特色がありますか?

志賀「まず、オン・ザ・コーナー(=中央から外れ、片隅で生きるの意)をこころざして建設しました。演目により舞台が自由に作り変えられるオープンスペース、ブラックボックス、そして客席数も変えることができます。今ではどこの劇場でも目にするこれらの“型”は、この劇団が発祥と自負しています。
舞台は美術も含めすべて劇団員の手作業・手作り。演出家や俳優、それぞれに意思があります。けれどそれを観客に押し付けることはしません。観る側の考えや想いを大切にします。自分たちが考えたことと観客が感じ取ったことの中で想像力が生まれるような演劇を創ろう、それがブレヒトの生み出した演劇なのです」

 ストレッチをしながら、わずかな時間で台本を確認する劇団員の様子。公演直前の真剣な様子が伝わります。
ストレッチをしながら、わずかな時間で台本を確認する劇団員の様子。公演直前の真剣な様子が伝わります。

ベルトルト・ブレヒトは20世紀に活動したドイツの劇作家で詩人。『出来事を客観的・批判的に見ることを観客に促す演劇』を提唱し、その方法としての異化効果(=当たり前と思われる事柄を、見慣れない未知のものに変える趣向のこと)を駆使した戯曲を数多く世に出しました。「東京演劇アンサンブル」では創立当初からブレヒトの作品を演目とし、武蔵関に拠点劇場を持つに至った折、劇場に彼の名を冠して「ブレヒトの芝居小屋」としたそうです。この劇団で最初に上演した作品も、ブレヒトの代表作『ガリレイの生涯』だったそうです。

――たくさんの劇団員の皆さんがいらっしゃいますが、運営上のご苦労など、ありますか?

志賀「現在、劇団員は約60名。芸術はどの分野でも同様かと思いますが、自分の目指すものを真摯に実現しようとすると、生活は苦しく、アルバイトをしながらの活動になります。大家さんの都合で芝居小屋の移転をせざるを得なくなった今、劇団員には試練のときです。皆、この近くに住んで、演劇を創る合間の、ほんの少しの時間でもアルバイトしていますから、芝居小屋が遠くになると大変です」

入江「ここは各地の小劇場と比較すると大きく、駐車場、倉庫、劇場、本読み室、その上、楽屋や衣裳部屋まである。こんな空間を所持できるのは稀有なことです」

大きな懸案をかかえながら、それでも、来年の移転まで気を抜くことなく、しっかりと自分たちの演劇を行っていくつもりだとお二人は語られます。

「人間は変化しうる」ことを愚直に信じて

「人間は変化しうる」ことを愚直に信じて 偶然通りがかった、今回主演の正木さん。こういう「今まさに作品を創っている」感じが取材中随所に現れます。
偶然通りがかった、今回主演の正木さん。こういう「今まさに作品を創っている」感じが取材中随所に現れます。

取材のため拠点活動の心臓部、劇場横の建物2階打ち合わせ室に移動したところ、そこへ9月公演の主役トゥランドット姫を演じる正木ひかりさんが登場。劇中の映像撮影に臨むところだったようです。記念写真を撮らせていただいた後、代表の入江洋祐さん、志賀澤子さんより様々なお話を伺いました。

 手前が入江さん、奥が志賀さん。劇団創設の歴史を語る様子は、温かさの中に重みを感じます。
手前が入江さん、奥が志賀さん。劇団創設の歴史を語る様子は、温かさの中に重みを感じます。

――東京演劇アンサンブルの創設と活動について伺いたいのですが。

入江「創設は1954年。僕ら、俳優座付属俳優養成所三期生の若手、僕も大変若かったんです(笑)。平均年齢20歳、18名で旅公演を中心とした劇団を創りました。今考えると、やや無謀でしたが(笑)。劇団名は三期生で創るから『三期会』としましたが、僕としては日本の新劇の第三期を創ろうという意気込みもありました。ちなみに第一期は小山内薫さん、第二期は戦前のいわゆるプロレタリア演劇。で、戦後の第三期を創ろうと。旗揚げは本州南端の鹿児島。F・ウォルフの『森の野獣』を演りました。大変喜ばれて、『戦後初めて三太郎峠(熊本県と鹿児島県の県境)を越えてきた新劇』と言われましたね。

その当時、木下順二と鶴見和子が編集した『母の歴史』や、今年6月に101歳で亡くなった日高六郎らが編集した『紡績女工』に啓発され、四日市の紡績工場で働く女性たちと二年ほど交流を持ったんです。そこで生まれた『明日を紡ぐ娘たち』(劇団の演出家・広渡常敏らと共に創作)を公演して注目を浴びました。
それ以降、私たちはできるだけ現実世界を取材してコンポーネントする、つまり演劇の要素を一つひとつ創りあげる、そうした芝居を続けていこうと今日まで活動してきました。また、1967年に稽古場を高円寺に移し、劇団名を『東京演劇アンサンブル』と改め、芝居は楽しくなくてはいけないけれど、単なる娯楽ではなく芸術であって、いつでも現実世界から目を離さない芝居をしようと、基本路線を決めて活動してきたのです」

円形舞台を世界に発信する

円形舞台を世界に発信する 円形の舞台。舞台の水や木々の造形は、今見てもかなり斬新な演出に感じます。
円形の舞台。舞台の水や木々の造形は、今見てもかなり斬新な演出に感じます。

1980年、「東京演劇アンサンブル」は本拠地を「ブレヒトの芝居小屋」に移しました。そこで自由な発想の舞台を創り、その新しい試みを積極的に海外公演へとつなげました。その先駆けとなったのが坂口安吾の「桜の森の満開の下」。1990年のニューヨーク公演を皮切りに世界各地で公演し、好評を博しました。 

この海外公演のプロデュースに力を発揮されたのが志賀さんです。俳優座養成所の第11期生で1962年に「三期会」(東京演劇アンサンブルの前身)に入団し、俳優として活躍すると同時に2006年より広渡常敏氏の後を継いで入江さんと共に劇団代表に就任されました。

 人気演目の一つ、「銀河鉄道の夜」。宮沢賢治の世界観を、学生にもわかりやすく演出。
人気演目の一つ、「銀河鉄道の夜」。宮沢賢治の世界観を、学生にもわかりやすく演出。

――練馬区に本拠地を移されてから活動は大いに広がったのですね。

志賀「チェーホフの『かもめ』は皆の憧れの作品ですが、この芝居小屋だからこそ円形舞台を創ることができ、モスクワ芸術座でも公演しました。ちょうどソ連崩壊の年でしたから、広渡が表現したチェーホフが刺激的で新しいものだったのです。例えば舞台の周りを水で囲んだり、天井から木を逆さに吊るすなどです。これをきっかけにロシアの演劇が変わったと、私自身は思っています」

海外公演はベトナム、ローマ、ロンドン、韓国等々、世界各地で行われ、国内においても「ブレヒトの芝居小屋」と横書きされたトラックが舞台装置の道具など満載して走っているそうです。若々しい意思に満ちた演劇は各地で歓迎されています。

また当時から、文化庁の主催で各地の小中学校で演じたり、高校の演劇鑑賞行事で公演したそうです。現在は教育環境の変化で以前よりステージ数は減ったそうですが、「銀河鉄道の夜」とか「消えた海賊」等の公演依頼があるそうです。

出会いから生まれる人間力、そして生き甲斐

今や世の中はIT全盛。子供から大人までスマホを手放せません。だからこそ手作りの演劇の中に、人間が生きていくために忘れてはいけない哲学、芸術性がイキイキと現れているのではないでしょうか。「ブレヒトの芝居小屋」で黙々と演劇創りに励む方々の姿に大切なことを感じました。

――役者冥利に尽きると感じられるのは、どんな時ですか?

志賀「自分が大失敗した時でしょうか。そこを潜り抜けるのに10年もかかりましたが、乗り越えることができた、後々の大きな歓びにつながったことが、今考えると役者冥利ではないかと思います」

入江「僕も、ああ失敗したなぁと思うことのほうが多かったかもしれません。けれど、芝居を続けて来て、自分の心の中の何かが埋まった、という気がしています。青山杉作という演出家が、『一生のうちに演りたい役は二つ、自分の好きな役は五つ、まあまあの役がほとんどで、演りたくない芝居が三十くらい』と話していたのが印象に残っています。これは一つの『運』というものがあるのかもしれません。
学校での公演でも驚くような出会いがありました。高校生が私たちアンサンブルの芝居を見て『自分も新しいことをやらなくてはと思った』とか、学校の番長のような強面な子が、騒いで集中しない生徒たちに『静かに観ろ!』と一喝して、その場を黙らせたとか。教師たちでさえ騒ぎを止められなかったのに、ですよ。そんな時、人間の復元力を感じるし、今、ゲームばかりしているような子もきっといつかは本当に大事なものに気づくと、信じられる気がします」

劇団のこころざしは何処に行っても変わらない

劇団のこころざしは何処に行っても変わらない 長く続けてきたからこそ、様々なお客さまに様々な影響を与えてきた。まさに、継続は意思の継承なのです。
長く続けてきたからこそ、様々なお客さまに様々な影響を与えてきた。まさに、継続は意思の継承なのです。

劇団の移転を知った常連の観客たちから、『今後もぜひ、心ある素晴らしい芝居を続けて欲しい』との応援の声が日ごとに大きくなっているそうです。公演を観て心打たれた方が年齢を重ね、子を連れ、孫を連れて来られて、自分が感動した人間の生き方の大切な部分を芝居を通して感じて欲しいと願っておられるのです。

劇団では、移転に伴う「応援基金のお願い」を呼びかけておられます。「呼びかけ人」には、作曲家、演出家、舞台美術家、写真家、俳優等の他に、大学教授、元高校教師、弁護士等、多彩な方々が名を連ね、劇団のこれまでのかかわりの広さ、深さを感じます。

 劇団の裏手には、倉庫や資材置き場なども。この規模の十分なスペースが練馬で見つかることを願います。
劇団の裏手には、倉庫や資材置き場なども。この規模の十分なスペースが練馬で見つかることを願います。

――移転に向けての思い、お考えを聞かせてください。

志賀「移転まではまだ時間がありますし、具体的なものが見えていないので、ともかく今、すべきこと、つまりここでの公演に懸命に取り組んでいこうと思っています」

入江「理想と現実の違いはありますが、僕らの経済力に見合うところが、できたらこの近く、劇団員が通えるところがあったらいいですね」

志賀「選んでいるうちが楽しいっていうこともありますが、希望を持っています。人から人への呼びかけで、思い掛けない方々から支援の声が届いたり、こんなところにもファンでいてくださった方がおられたのかと驚いたり」

入江「クリスマスには毎年、『銀河鉄道の夜』を上演していますが、この芝居小屋で演じるのはこれが最後です。ぜひ観ていただきたいです」

 劇団の運営の話の中に、人生哲学にも通ずる意思や真理を感じ取ることができました。
劇団の運営の話の中に、人生哲学にも通ずる意思や真理を感じ取ることができました。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、今でこそ様々な演出家による演劇となったり音楽劇となっていますが、東京演劇アンサンブルが初演した当時はまだ著作権が効力を持っていた時代でした。版権を持っていた宮沢賢治の弟の宮沢清六氏が「いままで兄の作品を舞台化したり映画化するのを断ってきたが、この劇団なら信用できる」と太鼓判を押してくださり、上演が実現したという経緯があります。以来、とても大事にしている演目で、学校公演や市民劇場、演劇鑑賞会等でも多く演じられているそうです。

これは舞台の華やかさや演出面だけでなく、「ブレヒトの芝居小屋」と命名した劇場を持つ劇団であるからこその、独自の解釈や高い表現力が伴ったからでしょう。

音楽やアニメ等、文化にも多くのゆかりある練馬区に、40年もの間、このような劇団が存在していたことに、不思議な縁や必然性のようなものを感じました。芸術や表現は、個人が自由に感じるものなのですが、現代の日本・社会がもしかすると失ってしまった何かに、もう一度気づかせてくれる、そんな意味があるように思いました。

サポータの取材後記

なかなか
自宅から歩いても行けるところにありながら、不覚にも「ブレヒトの芝居小屋」の存在を知りませんでした。
芝居を観るのは大好きなのに、なんで! との思いがくり返し湧きます。
九月公演「トゥランドット姫」、クリスマス公演「銀河 鉄道の夜」は必ず観に行きます。
新しい本拠地が劇団にとって最も相応しい場所でありますよう祈っています。
かもめ
ブレヒトの芝居小屋で観劇したことはありますが、それは舞台、客席が出来上がったうえでのこと。今回は、2辺の廊下のように細長い舞台だけで、客席を取り払って、俳優さんがストレッチや台詞の稽古をしている場面を見る事が出来、ラッキーでした。
ここは、何でもなれる可能性のある豊かな空間であり、改めてこのように貴重な場が無くなることに、寂しさを感じました。
1954年に俳優座養成所の3期生が立ち上げたこの劇団は、私と同い年。当時20歳で立ち上げに参加した入江さんからも貴重なお話を伺い、一つのことを貫いてきたその人生に尊敬と羨望を感じました。
この歴史ある豊かな文化の移転先が練馬区内で見つかったという嬉しいニュースを心から待っています。

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