12月です。
年の瀬ですね。
さて、12月と言えば練馬では関のぼろ市が、
関町北の「本立寺(ほんりゅうじ)門前」で開催されますが、
12月で気になる事があり、インターネットで調べてみました。
それは、ぼろ市の起源に関わること。草鞋(わらじ)のお話です。
■関のぼろ市のはじまり
関のぼろ市、インパクトのある名前ですよね。
そもそもこの市は、江戸時代中期の1751年から始まったそうですので、
形を変えても、ざっと260年以上続いていることになります。
当初はこの練馬の地が農業地帯だったことから、
農機具などの生活用品を売られていたことが始まりだそうです。
インパクトのある名称についてですが、
農機具などの後は古着や草鞋(わらじ)の鼻緒を作るための
「ぼろきれ」なども売っていたことから、この名前になったようですよ。
※諸説あり。
■草鞋や下駄は、当時の庶民にとって身近なもの
そもそも下駄や草履、草鞋を履かなくなった今でも、
「鼻緒が切れると縁起が悪い」などゲン担ぎ・風習の一種として
根強く残っています。
関のぼろ市ではこの、「鼻緒」が売り物だったというのですから
当時の庶民にとっていかに必需品であったか、伺えます。
皆さんの中で、草鞋を
『普通に生活のものとして使っていた』
という方は、ごくわすかだと思いますが、草鞋の起源は結構古いもので、
平安時代の『栄花物語』や、鎌倉時代の『平家物語』にも
その名称が出ている、という研究もあるようです。
1000年以上の歴史があることは間違いないでしょう。
■草鞋は、使い捨て!いざという時現代の非常持ち出し必需品?!
草鞋の現物を見たことが無い方もいらっしゃると思います。
まさに細長く丸い、小ぶりな小判型で、
足の親指と人差し指で挟んで使うものでした。
指先などは、かなりはみ出してしまう構造でしたが
柔軟性が極めて高く軽いため、足にはフィットし、
また平地であれば、思いのほか歩きやすかったようですよ。
そのため江戸時代くらいまでは、旅と言えば草履が定番で、
文献によれば、3日で2足くらいを使う、使い捨て商品だったとか。
(江戸時代に8~16文。現在の価値に変換すると、およそ200~400円程度)
ちなみに、江戸時代の庶民や武家に、鼻緒のついた履物が
これほど重宝されたのはなぜでしょうか。
これには「いざというとき(たとえば家族の急病や火事など)
着物の裾をまくって、いち早く駆けつけるものだ」
という江戸時代ではごく当たり前の一般認識が強く影響したと
考えられています。
※当時の男性は、急ぎの時は着物の裾を大胆にまくり、
全速力で走るのが普通だったのだとか。
そのため、現代よりもかなり「踏ん張り」が大事で、
鼻緒が付いた履物が重宝されました。
今年のぼろ市は、そんな起源も考えながら、
お出かけを楽しんでみてはいかがでしょう?
<関のぼろ市>
露店や昔ながらの古物店などが立ち並び、大きなにぎわいを見せます。
9日の夜には、午後7時から9時ごろまで万灯行列が行われ、
花飾りをつけた万灯を中心に、纏(まとい)や鐘、太鼓を持ったはっぴ姿の人々が、
武蔵関駅南口周辺を出発して本立寺までの約1kmを練り歩きます!
日時:12月9日 (日)、12月10日 (月)/10時~22時(10日は21時ごろまで)
場所:本立寺(関町北4-16-3)
アクセス:西武新宿線「武蔵関駅」北口下車徒歩3分
関連URL:
https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/bunkazai/b043.html
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