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野村万作の世界
~狂言師の幼少期から現在まで~

取材日:平成29年3月22日 更新日:平成29年4月26日

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狂言師の野村万作さんは、練馬区に50年以上お住まいになっています。人間国宝であり、練馬区名誉区民。80代にして、国内はもちろん海外での公演も精力的に行っている能楽界の大御所です。平成29年10月に行われる練馬区独立70周年記念イベントのひとつ「練馬薪能」を前に、「狂言のいろは」を教えていただきました。
狂言師 野村 万作(のむら まんさく)さん
■ホームページ:http://www.mansaku.co.jp(万作の会)

野外から生まれた能楽の魅力

 平成28年10月、石神井松の風文化公園で行われた練馬区独立70周年プレイベントの薪能(たきぎのう)。チケット購入は区民枠で18倍を超える高倍率で、区民の関心の高さが伺えました。そして、練馬区独立70周年イベント「練馬薪能」の開催も平成29年10月14日に決定し、期待がさらに膨らんでいます。まずは、万作さんにプレイベントの薪能について振り返っていただきました。

 「薪能は、野外に舞台を造って夜間にかがり火を焚いて演じる能のことをいいます。プレイベントでは、区民の方々に伝統文化としての薪能を地元で味わっていただけた、ということが感慨深いですね。天気にも恵まれました。能楽堂などと違って、薪能は自然の空気を感じながら観るものですから、気持ちもオープンになるものです」

 役者さんにとっても、薪能と室内の舞台で演じる時とでは、気持ちに違いはありますか?

 「能や狂言は、もともと野外で演じられるものでした。役者としては、本来はどこで演じても同じ精神で演じなければいけないのですが、やはり外気を吸って緑の匂いをかいでいますと、開放感が生まれてきます。観客も同じです。ただ、外側の雰囲気ばかりに酔ってしまうのも困ります。ぜひ中身の芸を汲みとっていただければと思います」

狂言の楽しみ方

 より深く狂言を楽しむために、「狂言のいろは」について伺いたいのですが、まず、演目や役者の決め方について教えてください。

 「狂言の演目は254あり、狂言を初めて観るようなお客様が多い場合は、わかりやすく華やかな演目を選んでいます。プレイベントの時は、『二人袴』というにぎやかなおめでたい演目を選びました。私と息子の萬斎の実際の親子が、演目の中でも親子を演じました。よく観にいらっしゃる方には、笑いだけではなく、より深味のある気持ちを表現するような、じっくり観ていただく演目を選ぶことが多いです。役者については修行の年数や、声の高低、年齢や体格も考慮して配役を決めます」

 狂言の楽しみ方を教えていただけますか。

 「最近では海外公演で、狂言の室町言葉をその国の現代語に翻訳し、字幕でご覧になる外国人の方が、内容をよく理解して楽しんでくれます。日本人が古語のまま狂言を観るより、むしろよくわかるという皮肉な現状ですが、古語といっても日本語ですから、とにかく台詞を一所懸命聞いていただくと、大体わかるはずです。例えば『このあたりの者でござる』は、『この辺に住んでいる者です』という意味。『こんにった用事あって山一つあなたへ参る』は、『今日は用事で山一つ越えあなたの所へ行く』という意味で、感じ取れればだんだん面白くなると思います」

伝統芸能を「生き物」として伝える

 伝承について、心がけていることは何ですか。

 「自分が父や祖父に習った芸を次の世代に伝えていく。しかし習ったものを基礎にして、自分がつくっている面もあり、海外で演ずることで変わってきた部分もあります。古いものをただ伝えるのではなく『生き物』として伝えなくてはいけないと考えています」

 「弟子には、まず先生の言うことをきちっとまねるように言います。『まねる』は『まなぶ』ですから、少しずつ身につけて、くせのない芸をしてほしいと思っています。次に、正しく美しい日本語をしゃべる。それが狂言師にとって一番大切なことです。『ら抜き言葉』は使わず、狂言を大事に伝えてほしいです」

戦前から戦後にかけての子供時代

 万作さんの子供時代について教えてください。

 「小学生時代は田端に住んでいてガキ大将でした。近所の子とベーゴマ、竹馬、相撲、野球などをして遊んでばかりいました。稽古の時間になると、父に家に連れて帰られ、口伝えの30分ほどの稽古をしました。子供の頃の稽古は台本を使いません。師である父のいう台詞を繰り返し真似して覚えてゆきます」

 「戦争が終わった中学時代、田端から豊島区南長崎に引っ越しました。お百姓さんが肥やしを取りに来て、かわりに農作物をもらうというのどかな時代でした。池袋に行くときの西武線の電車が恐ろしく混雑していて、電車の外側につかまり、ぶら下がった状態で乗っていた記憶があります」

 読者の方にメッセージをお願いします。

 「私は練馬に50年位住んでおりますが、自然が豊かで、自転車で石神井公園まで行って池のそばで台詞を覚えたものです。70周年記念イベントでは、能は『紅葉狩(もみじがり)』、狂言は『棒縛(ぼうしばり)』という演目をいたします。『棒縛』は萬斎が主役の太郎冠者、私は主人役を演じます。主人の留守中に家来がお酒を盗み飲むという、とてもわかりやすく人気のある演目ですので、ぜひお楽しみください」

 70周年記念イベントの薪能のチケット販売は夏頃予定されており、区報などで紹介されます。パブリックビューイングでも鑑賞できるということです。
 本日はありがとうございました。

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プラッシー

野村万作さんは、万作という名前を大変気に入っておられると以前お聞きしたことがあります。万の作品を作っていくという意味があるそうです。「祖父は江戸末期の風があり、父は明治の風があり、私には昭和の風がある」という言葉に、伝統を時代に合わせた形にする喜びのようなものを感じました。

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「弟子には古典をきちんと身につけた上で、自分の芸を磨いていってほしい」と噛みしめるような口調で話された万作さん。厳しい稽古に臨まれる姿、まだ車もほとんど通らない十三間通り(現在の目白通り)の原風景の中で、少年期に興じたトンボとりなどの思い出を懐かしそうに語っていらっしゃいました。

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平成28年10月、石神井松の風文化公園で行われた練馬区独立70周年プレイベントの薪能で、万作さん(左から2人目)と萬斎さん(左)親子がが演じる狂言「二人袴」
(写真提供:練馬区)

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取材中も終始笑顔で対応してくださった万作さん。お話に感銘を受けました

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文京区にある稽古場の入り口の看板。「野村 よいや舞台」と書いてあります

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「よいや舞台」稽古場を背景に

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田端の稽古場にて。前列一番右が万作さん。その隣が祖父・初世野村萬斎、後列一番左が父・六世万蔵
(写真提供:万作の会)

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昭和25年(1950年)、父・六世万蔵と万作さん(右)が装束を出しているところ。南長崎時代
(写真提供:万作の会)

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昭和38年(1963年)、海外公演中にニューヨークで俳優の指導をする万作さん
(写真提供:万作の会)

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平成23年1月24日、練馬文化センター名誉館長に就任された万作さん。1階ロビーには、狂言装束などが常設展示されています
(写真提供:練馬区)