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あの人は今?
〜環七・蕎麦の名店 練馬の「田中屋」〜

取材日:平成28年2月6日 更新日:平成28年3月25日

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環状七号線沿いにあった練馬の「田中屋」をご存じでしょうか。昭和30年代から続く蕎麦の名店で、いつもたくさんのお客さんで賑わっていました。ところが平成8年、ご主人の田中さんが突然引退されました。「なぜ?」と驚いたファンの方も多いでしょう。その後、ご自宅のあるひばりが丘で蕎麦屋を始められたと人づてに聞き、早速訪ねてみました。
たなか
田中 國安(たなか くにやす)さん
■ 所在地 西東京市ひばりが丘1-15-9(西武池袋線「ひばりが丘駅」徒歩6分)
■ 電話 042-424-1882
■ 営業時間 11時〜15時 
■ 定休日 火曜、第3水曜

引退された理由とは…

 練馬の「田中屋」といえば、東京一との評判もあり、東京駅でタクシーの運転手に店名を告げれば通じたという伝説の蕎麦屋でした。創始者の田中國安さんは、蕎麦職人として全国に名を馳せた方です。

 現在のお店「たなか」は、静かな住宅街の中にありました。案内された店内は、まるでご自宅に招かれたようなゆったりとした寛ぎの空間。迎えてくださった田中さんは、91歳とは思えない流れるような語り口で、とても気さくな方でした。

 練馬のお店を閉められた理由は何だったのでしょうか?
「女房が身体を壊してしまったんです。とにかく店が忙しかったし、環七の交差点に店があったものですから排気ガスがすごくてね。2階の窓は真っ黒でした。店も大切でしたが、女房の命は何物にも代えられませんから」

 奥様のことを思っての決断だったという言葉を聞いて、長い間閉店を惜しんでいた気持ちが和らぎました。

昭和33年、練馬に店を出す

 田中さんが蕎麦屋を目指すきっかけは、何だったのですか。
「富山の小学校を卒業した後、上京して運送会社で働いていたのですが事故を起こしてしまい、知人の蕎麦屋で修行することになったんです。そして昭和33年に、出前専門の蕎麦屋を構えたのが練馬の『田中屋』の始まりです。当時は自分でそばを作り、舗装されていない泥だらけの道を配達していました」

 若い頃に苦労をされた田中さんですが、時代を読む力があったからこそ店の発展につながったのかもしれません。「これからは手打ちそばの時代が来る」との直感で、番頭を老舗蕎麦屋の「巴町砂場」に修行に行かせ、手打ちそばの先駆けとなりました。

 また、天ぷらがおいしい蕎麦屋は繁盛していたため、「天ぷらを制する者は蕎麦屋を制する」と、天ぷらにも力を入れました。「女房が揚げる天ぷらは、絶品と言われていたんですよ」

 こうした努力のおかげで、手打ち蕎麦の評判は評判を呼び、遠方からもお客さんがやってくる人気店となりました。庶民的な価格設定ではなかったにもかかわらず、最盛期には、22台分の駐車場が高級車で埋め尽くされる光景も珍しくありませんでした。

お客様はみな平等

 これだけの繁盛店ですから、有名人もいらっしゃったのでは?
「有名な方も数多く来店されましたが、特に印象に残っているのは高倉健さんですね。東映の大泉撮影所の帰りに、よくお寄りになりました。とても紳士的でしたね。昭和40年代には巨人軍の王さんやコーチ、選手の皆さんが連れ立っていらしたり、相撲の若貴兄弟がご両親といらしたり。また、ホンダの創業者の本田宗一郎氏、中曽根元総理など…たくさんの方にご贔屓にしていただいていました」

 ただ、従業員には「色紙をもらってはいけない」と徹底して言い聞かせていたと田中さんは言います。
「有名無名にかかわらず、お客様には常に平等に接しなくてはいけません。このお客さんにはサービスしたけど、あのお客さんにはしない、というのはダメです」

 唯一の例外が、今も店内に飾られている青島幸男さんの書。テレビの「いじわるばあさん」でお店が舞台になった時、ご本人が書いてくださったそうです。「人間万事塞翁が馬」…人生、何が幸不幸につながるかわからない。まさに、事故がきっかけで蕎麦屋になった田中さんの人生。いや、すべての人の人生に当てはまる言葉なのかもしれませんね。

蕎麦屋の心意気というもの

 蕎麦作りで心がけていることを教えてください。
「大切なのは、そばが4割、つゆが6割。そばがまずくても、つゆが美味しければ食べられますが、そばが美味しくても、つゆがまずければ食べられない。ですからうちの店では、もりそば、かけそば、釜揚げうどん、それぞれを引き立てるつゆの味にこだわって、出汁はすべて違うんです」

 また、味を追求するのはもちろんのこと、器も良いものを使わなければいけないというのが田中さんの信条。店では、京都「たる源」の桶や、「須田菁華」(魯山人は初代須田菁華に学ぶ)の器を惜しみなく使っています。
「こんな高級品を使っている蕎麦屋は他にはないと言われていますよ(笑)」

練馬への感謝を込めて

 練馬の店を閉めた後は蕎麦屋をやるつもりはなかったそうですが、蕎麦打ちを教えてほしいというお孫さんのために、平成10年、また店を開くことになりました。
「以前のような忙しさが収まった分、より良いものを出せている自負があります」

 最後に、「シニアナビねりま」の読者にひと言お願いします。
「練馬の皆さんには大変お世話になりました。本当に感謝しています。来店の際には、『練馬区から来ました』とお声掛けいただければ幸いです」
 本日はありがとうございました。

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プラッシー

ご主人は、どのお客様にも笑顔で接してくださいます。環七のお店がなくなった後、ひばりが丘にあることがわかった時は懐かしく、嬉しかったです。もう一度あのお蕎麦を味わいたかった方のお役に立てますように。

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90歳を越えてもお元気な、田中屋創始者のご主人。上京、戦争体験、蕎麦屋開業、各界のお客様との想い出、「お蕎麦作りにむけた気構え」などを楽しそうに振り返り、穏やかに語ってくれました。とても幸せな気分になった取材でした。ひばりが丘住宅地、今のお店もステキ! ぜひ、再訪したいです。

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「御前せいろ」540円(税込)。調和のとれたまろやかなつゆが、すっきりとした香り高いそばに絡みます

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練馬区豊玉中にあった練馬の「田中屋」の外観(昭和55年頃撮影:田中さん提供)

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田中國安さん(左から3人目)と奥様(左端)。平成22年頃撮影した田中家の写真

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現在の「たなか」。一軒家の玄関のドアから入り、靴を脱いで上がります

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1階のリビングルームがお店になっています。田中さんのこだわりが随所に見られる椅子や調度品

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青島幸男さんの書「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」

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須田菁華の器を手に取って見せていただきました。染付双耳向付は、青い花びらに付いた貝殻のよう

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お酒を飲まない甘党の田中さんおすすめの「そばがきぜんざい」。今のお店は、メニューに酒類がない珍しい蕎麦屋です