サポーター体験記284

練馬の誇り!栃丸関を育てた、練馬石泉相撲クラブ

取材日令和5年2月8日
更新日令和5年4月10日

今や老若男女が楽しみにしている人気となった、大相撲。
現役力士として活躍する栃丸関は練馬区出身です。

栃丸関を輩出した「練馬石泉(せきせん)相撲クラブ」は、
大相撲を主催する(公財)日本相撲協会が認めた、
数少ない指導普及部支部道場である、朝霞相撲練成道場の兄弟分。
そんなクラブの活躍の秘密を、栃丸関ご本人も交えて取材しました!

(※大相撲令和4年五月場所で新十両に昇進した栃丸さんは、令和5年三月場所現在、
東幕下九枚目となっておりますが、本稿では「栃丸関」と記すこととします)

栃丸関、練馬石泉相撲クラブ代表の白石さんとの貴重な記念撮影!

練馬石泉相撲クラブ

※以下、文中敬称略。
※取材はコロナウイルス感染症の予防対策に十分配慮し、行われています。

取材ご担当:代表/白石 浩三さん、ゲスト/大相撲春日野部屋 元十両栃丸関
活動場所:練馬区立総合体育館相撲場(練馬区谷原1-7-5)
連絡先メール:nerimaku-sumorenmei@outlook.com
URL:http://www.nihonsumo-renmei.jp/club/194_nerima.php

相撲のきっかけは9つ上の兄、体格に恵まれた幼少期

――記事で読んだのですが、『勝ち負けではなく、練習通りの力をいかに発揮できるかが大事』とありました。私も普段、バレエを楽しんでいますが、練習どおりというのはなかなか難しいです。まして相撲は相手がいること。
いかにして平常心を保つのか、そのルーティーンがあれば、教えてください。

温厚で誠実な人柄が伺える、優しい口調の栃丸関です

栃丸関 「怪我をする前は、この世界ではよくある“験担ぎ”をしていました。取り組みで勝った時の行動を再現するんですね。例えば勝った前日に食べたものと同じものを食べたりするなどです。
しかし最近では、普段通り過ごして、普段通りの気持ちで取り組みに臨んでいます。ですから、特別に何かをしているということはありません。
怪我の影響で、以前と同じ負荷・同じ練習量ができなくなった、ということも大きいと思います。一番一番、本番で力を発揮できるようにという心構えが強くなったのかもしれませんね」

――練習の制限は、ドクターストップによるものなのでしょうか?それともご自身の体と向き合って、体の声を聞いて『今日はここまでかな』などとコントロールするのでしょうか?

他のアスリート同様に「自分の体の声」に耳を傾け、日々、稽古に取り組んでいます

栃丸関 「お医者さんからの意見はもちろんありますが、100%は聞かないようにしています。僕らのスポーツは、靭帯を切ることが多く、僕の場合は膝なのですが、靭帯を切れば、お医者さんからは競技を勧められないです。

しかし僕らの場合は、本番の取り組みは一番だけなんですね。通常は10秒もなく、長くても1分あるかないか。それであればなんとか力を出せるのではないか?と自分の体に聞いて自分で答えを出しています。

たまに、気持ちが高揚してアドレナリンが出ると、自分でも止められなくなりますから(笑)、その時は、指導してくださる親方衆が様子を見てくれます。
一番が終わると、土俵前後では全く痛みがないのですが、部屋に戻るとどこかしらが痛むというのはよくあります」

白石 「お医者さんは、まず安全第一で“無理をしないほうがいいですよ”って言いますよね。でもそれをそのまま鵜呑みにしていたら、プロとして相撲は取れないですからね」

――幼少期のお話を聞かせてください。栃丸関はスポーツ万能な少年だったのでしょうか?記事では走ったり、さまざまなスポーツに取り組まれていると拝見しました。

私たち世代では、相撲への興味は大きく質問が次々に溢れ出します

栃丸関 「いえ、実はそんなことないんです。親が習い事に熱心で、興味のあることは、サッカーや柔道などいろいろやらせてもらえました。ただ僕の場合は小さい頃から相撲が基本だったので、それぞれのスポーツの感動や良い面はありましたが、どこかで『これは相撲ではどう役に立つかな?』と考えていたところはあると思います。

9つ上の兄がいまして、兄が地元の練馬区の相撲大会で優勝したんですね。これがきっかけで、兄は練馬石泉クラブに誘っていただき、入ったんです。その時僕はまだ2歳くらいでしたので、兄のクラブに付き添いで行って、まあ最初は土俵の隅っこで砂遊びをしていたのですが(笑)、そのうち体験でまわしをつけるようになり、相撲の競技に参加していきました。

当初は相撲のルールなんて全く理解できませんでしたが、とにかく同学年の中では体は大きかったので、体格だけで勝てちゃうんですよ」

――なるほど。そうして徐々に力をつけていって、春日野部屋(元関脇栃乃和歌関)に入られるわけですね。こちらの部屋を選んだきっかけを教えてください。

栃丸関 「お誘いいただいたのが一番大きな要因です。僕は小学校4年と6年の時に相撲の全国大会で優勝させてもらっていますが、中学・高校はあまり成績が伸びませんでした。当然、スカウトも少なく、何件かお声がけいただいた相撲部屋と稽古見学の時に、『一番稽古ができそうだ』という理由で春日野部屋を選びました。

親方の考えに共感したのもありますが、同世代の力士が多かったのも決め手でした。同学年は少なかったですが、1〜2個上の先輩が多く、彼らは相撲大会でも見ていた顔でしたから、そういう環境で稽古ができるのは魅力でしたね」

スラリとした白石さんも実は元、大学相撲のチャンピオンです!

白石 「栃丸関の出身高校は、都立足立新田(あだちしんでん)高校で、先輩にはこの間引退した千代大龍関※がいます。彼がこの高校の関取第一号で、栃丸関が第二号です。当時の顧問である満留久摩(みつどめきゅうま)先生より、私が少し先輩でして、満留さんは埼玉大学の、私は東京大学の相撲部でした。彼は全国国公立大学の選手権で4年連続日本一になっているとても優秀な人格者です。私は、そのひと世代前に一度だけ個人全国優勝しました」

※千代大龍関は、2022年11月20日に引退。

――そもそも、なぜ相撲だったのでしょうか?やはり、お兄さんも含めた環境がそうさせたのでしょうか?

栃丸関 「それもあると思います。小学校4年、6年の時に全国大会に出場するにあたって、もうその頃からプロにいってみたいな、という気持ちは強かったです。自宅でも相撲の真似事を常にしていて、兄はもちろん大学まで相撲をやっていましたし、祖父も相撲好きでしたから」

白石 「お兄さんも専修大学の相撲部にいて、大学相撲では1部・2部・3部・4部と区分があるのですが、専修大学は常に1部です。日本大、日体大などと肩を並べる強豪校です。私が在籍していた東京大学は2部と3部の間を行き来していましたから、大変な実力者です」

厳しい相撲界、力士の普段の生活をちょっと拝見!

――部屋での生活について教えてください。普段、朝は早いのでしょうか?

栃丸関 「朝は6時30分起床して四股を踏みます。ちなみに朝は食事をしません。食べたすぐ後に激しい運動をすると気持ちが悪くなりますから、相撲部屋では朝は食べないのが常識です。お昼は12〜13時の間に摂ります。最近では皆さん、稽古中にサプリメントなどを摂取することも多いです」

白石 「私の学生時代でも、合宿の時は、朝の7時から稽古して、昼まで稽古を続けると、それこそ大袈裟ではなく、お腹と背中がくっつくくらい空腹になり、そこで昼にぐわーーっと食べる。その後昼寝をする。夕飯に軽く親子丼を5、6杯食べる。そんな生活をしていると、一気に太ります。太るために1日2食の生活をするんです」

――すごいですね。栃丸関の場合、ごはんはどのくらい食べられるのですか?

仕事とは言え、想像を絶する量の食事を準備し摂取します。
鶏肉は1食で4〜5kgとか(部屋で)

栃丸関 「最近ではずいぶん減りましたけど、体を大きくするために食べていた時期は、少し大きめのお茶碗に、1食で5、6杯でしょうか。ちゃんこも同じくらい食べます。おかずの他に鍋があります。僕らが作るものは、総称して“ちゃんこ”と言いますので、鍋だけ食べているわけではないんです。味も、カレーもあればトマト味なんかもあります。やはり毎日食べ続けるので、どうしても飽きますからね。

間食とかも自由なので、同僚の力士の中には、アイスクリームのファミリーパックというのでしょうか。家庭用のまとめて入っているものを買ってきて、ひとりで全部食べていたりしてましたよ」

白石 「子どもが行う“わんぱく相撲”でも、栃丸さんのお母さんが差し入れでおにぎり100個くらい持ってくる世界ですからね(笑)」

白石さんは現、練馬石泉クラブの代表を務めるほか、東京都や練馬区の相撲連盟の常任理事や理事長もされています

――テレビ中継などでは、大きな座布団を運ぶ付け人の姿も見ます。大きな座布団は座り心地も良いのでしょうね。

白石 「幕下までは、座布団がなく畳です。十両になると薄い座布団、幕内になると、自分専用の大きな座布団を使うことができます。

番付表を見ると、ここは、上から順に幕下〜三段目〜序二段〜序ノ口と呼ばれる力士たちで、十両以上の関取の付け人を行います。相撲界は厳しい世界です。幕下以下と十両以上のいわゆる関取では給料も大きく異なると言われています。上になると大銀杏も結えて、色とりどりのまわしもつけられます。幕下以下の力士は、まわしは黒廻しで、丁髷(ちょんまげ)となります」

こちら、名古屋場所の番付表。栃丸関は現在このあたり※2月取材時

――ええっ!すごい格差じゃないですか。びっくりしました。そんな厳しい世界に身を置くのは、やはり楽しいからですか?仕事だから、楽しいという感覚はないのでしょうか。

栃丸関 「稽古で苦しいことをやり、試合で勝つのは純粋に楽しいですね。逆に言えば、いかに稽古場で苦しい状況を自分で作れるか、ということでもあります。どうしても甘えてしまいますから。それを甘えずに、苦しい稽古に向き合っていく。その先に楽しさがあると思っています。これを経験すればするほど、勝った時の喜びが増えると思うんです」

相撲に対して、真摯に向き合う栃丸関。言葉一つに重みがあります

――直前は4勝3敗の成績で、勝ち越しました。得意技は何でしょうか?

栃丸関 「当然、毎回全勝を目標にしていますが、7戦全て勝つのは簡単なことではありません。一つでも多く勝てるよう、僕の場合は、突き押しを意識しています。まわしをとったり投げたりは、相撲でも知られている技だと思いますが、僕はあまり使いません。

学生時代は、逆に突き押し相撲じゃなかったんですよ。部屋に入ってからも、普通の押し相撲でしたが、最初の場所で負け越してしまったんですね。そこから『型にとらわれることなく、自由にやろう』と意識をせずに取り組んだら、自然と突っ張りが出たんです。後から言われたのですが、小学校の頃が同じスタイルだったみたいです。子どもの頃は、何も考えずに思い切りやりますから。僕のスタイルに合っているのかもしれません」

――ねり丸の化粧まわしをつけてくれていましたね!

白石 「十両になると化粧まわしをつけて土俵入りを行うことができます。最初のデザインは、実は私がコーディネートしました。昇進が決まって製作まで時間がないので、別のポーズや地の色を変えたものを本人に2〜3案送って、最終的に白に決まりました」

我らがヒーロー、ねり丸!化粧まわしに刺繍され、まさにヒーローとなりました
栃丸関から「意外と好評なんですよ!」とのお言葉。区民としては誇らしいですね!

栃丸関 「化粧まわしを専門に取り扱う業者は博多と京都にありますので、そちらにお願いしました。ちなみにまわしは見えている部分だけでなく、実際には真っ直ぐ1枚が5mくらいの長さで、それを自分で折って身につけます。折り方は先輩に教わります」

練馬区長との記念写真も!二人とも、いい笑顔です

プロの世界では覚悟が重要、今後クラブから相撲界への輩出やいかに

――練馬石泉クラブについて、簡単に教えてください。

白石 「練馬のクラブは東京都相撲連盟に所属する都内の相撲クラブであると同時に、“朝霞相撲練成道場”の中の一つの道場という位置付けも持っています。日本相撲協会が認めた支部道場は、現在、朝霞・文京・立川・府中の4つしかありません。朝霞道場の主は、現在95歳の元幕下、千歳川の高橋昭二郎さんです。ここから出た力士が幕内で活躍中の大栄翔関で、栃丸関と1つ違いです。

朝霞と練馬は、いわば兄弟道場ですから、冬場は合同稽古をしています。練馬の体育館の土俵は屋外にあるので、冬に外で稽古をすると怪我につながりやすので、室内土俵のある新座市総合体育館の室内土俵で合同稽古を行うわけです。

練馬石泉相撲クラブの活動を理解しつつ、相撲界そのものの構造も教えていただきました

相撲の世界は一般の方にとってみるとちょっと複雑で、相撲連盟関連と相撲協会関連があります。同じ公益財団法人でも、連盟の方はアマチュア相撲、協会の方はプロの大相撲です。協会は相撲文化の振興を目的としていますが、連盟はアマチュア相撲の普及及び振興を図ることが目的となっています。日本の伝統文化を守っていくのが大相撲です」

相撲には、日本の伝統文化を継承していく、という側面も(※写真はJ R両国駅前の銅像)

――練馬のわんぱく相撲の試合などは、私たちでも見ることができるのですか?

白石 「もちろん可能です。審判や運営は青年会議所さんとともにずっと一緒に区内関係者一丸となって行っています。現在はコロナ禍なので制限がありますが、練馬区大会は毎年300人以上集まる人気大会です。今年は光が丘体育館で5月21日(日)に開催されます。優勝すると東京都大会に出場し、ここで代表になると、全国大会に出場できます」

<わんぱく相撲全国大会ホームページ>
https://tokyo-jc.or.jp/wanpaku/

白石 「こちらが2011年2月の集合写真です。中央が栃丸関ですね。高校3年生、卒業後の春日野部屋入門でした。その5年後には魁佑馬(かいゆうま)が浅香山部屋(元大関魁皇関)へ。彼は高校1年で入門しました。で、面白いのがさらにその5年後、2021年の4月に玉天翔(たまてんしょう)が入門をします。

栃丸関が入門してからちょうど5年に1度、逸材が誕生しているのです。玉天翔は、相撲を始めたときからずっと指導していました。彼は片男波部屋(元関脇玉春日関)ですから、玉鷲関の付け人をやっています」

中央の赤いジャンパーが当時の栃丸関、周りの子ども達と比べると、一際大きな体格です

――今、練馬のクラブに有望な子どもはいるのでしょうか?

白石 「プロの世界に進むかどうかは本人次第ですから、プロとして有望かどうか?というのはわかりません。
(その通りですね、と、栃丸関)
大学相撲で活躍したいというお子さんもいます。私が見ている限りでは、大学相撲の軽量級で活躍するだろうな、という子どもは確かにいます。大相撲といっても一つの職業ですから、これ一本で飯を食っていくという本人の強い覚悟が必要です。玉天翔のときは本人がそれを熱望したものですから、私も『それなら頑張りなさい』と送り出しました」

栃丸関 「アマチュアの場合は、学生や社会人をやりながらの大変さはありますが、検討をすることができます。僕らはそれがないのです」

還暦も間近の白石さん、今でも子どもたち相手の相撲で胸を出します

還暦も間近の白石さん、今でも子どもたち相手の相撲で胸を出します

白石 「栃丸関が十両に昇進したおかげで、練馬区相撲連盟及び練馬石泉相撲クラブは、令和3年に東京都から“スポーツ功労賞”をいただき、東京都体育協会からは“生涯スポーツ優良団体表彰”、さらには日本武道館から“少年少女武道優良団体表彰”を受けました。子どもたちがクラブで頑張っている賜物ですが、栃丸関の存在は大きいです。今でもクラブに顔を出してくれると、みんなが一緒に写真を撮りたがっています。人気者ですよ」

――元々は練馬の大泉に住んでいたという栃丸関。私たちの練馬区から、栃丸関のような力士が輩出され活躍されること、また力士を育てる素晴らしいクラブがあること。とても誇らしく感じた取材でした。
これからはますます応援に熱が入りそうです。

サポーターの取材後記

豆柴

私は大の大相撲ファンである。今回、初の練馬出身力士、栃丸さんを知り、ぜひ皆さんに紹介したいと思った。
残念ながら、稽古や時間の都合などもあり、部屋ではなく両国の某所でお会いした。誠実・控えめながら、にこやかに、こちらの質問にも丁寧に応対された。番付表を改めてみると、地位によりしこ名の大きさが異なる。まさに勝負の世界、待遇も大きく異なる。
苦節11年。付け人の経験、勝ち取った十両昇進、それ自体大変な偉業だが、幕下に転落、様々な経験をされながらの前向きな姿勢に好感を持った。関取として、ねり丸の化粧まわし姿を、もう一度見たい。
取材後、練馬で数少ないちゃんこ料理屋を、理事長にご紹介頂き、相撲談議に花を咲かせた。青少年の心身の健全な育成に貢献される理事長に頭が下がる。
私は大相撲TV中継を欠かさないが、今は、国技館で相撲を椅子席で一人でも観戦できる。
次回はぜひ、東京場所でチケットを購入し、早くから出かけて栃丸さんの取り組みを応援したい。

ミムちゃん

とても印象に残る取材でした。滅多にない、力士を目の前で見れる経験ももちろんそうでしたが、体の大きい力士と、狭い空間での取材でしたので、色んな面で圧倒されました。
見たことない肩幅の広さと背中の厚みで思わず背中の筋肉を触りたい!と話しました。取材中はすごく優しくて謙遜な姿勢が、栃丸選手の人柄の良さとして溢れていました。
きっと、一般の人が考えられない努力や練習、体の負傷でもあきらめない忍耐力、そして「押すだけ。それを貫いていきたい。数字というよりも、いい相撲をとりたい」と語った格好良さ!まさに、心と身体のバランスが備わっているからこそ、滲み出るオーラなのだと思いました。
私は相撲に詳しくないですが、色んな面で一つひとつ乗り越えながら今に至る感じが、まだ若いのに重厚長大といった感じでした。
取材後は、なんだか私も日々頑張りたい!と思える良いインフルエンス(影響)を受けました。そして、いつか練馬で栃丸関の講演会などがあるといいな、とふと思いました。これからはもうちょっと詳しく相撲を勉強して、近いうちに栃丸関の応援に行きたいです。


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